矛盾を抱えて生きる僕らは、世界を変えることはできないのか。

先日、大学の授業(スプツニ子!さん開講の「問いを立てるデザイン」)でお金2.0の著者としても知られる佐藤航陽さんのお話を聞く機会があった。

端的に言うと、世界を変えていく人はこんな人なんだなという感想を抱いた。
お金の在り方を見つめなおす中で「新しい経済の仕組みを考えて死ぬまでに実現したい」「実践を通して世界を変えていきたい」「格差をなくしていきたい」という考えの下、仮想通貨をメイン事業としているメタップスや、時間に新たに価値をもたらすタイムバンクの運営を行ったり、現在の地球上での富の分布と逆位相の仮想の地球をつくるシステムの構築(仮想地球EXA)など今までにないものを生み出していっている。

一方で、節々に違和感を覚えたのも事実だった。
佐藤さんの原動力は、自らが貧しい家庭で育ったことからくる、「お金のないことが様々な機会を奪っていくだけでなく思考までも狭めてしまいうることへの反抗心」だと言っていた。
だがしかし、佐藤さんは今自身が憎んでいたであろう資本主義の上層にいる。「仮想地球EXA」のシステムを大企業にも受け入れてもらうには、このシステムによって新たな利益を得ることを伝えることが必要だといった。「複雑なのに正しい話は誰も聞かない」社会に疑問を抱きながらも自身の企業をPRするCMを作成する際は極力漢字を使わないように留意する。

佐藤さんは、自分がどうにかしたいと考えているその社会に誰よりもどっぷりつかっているのではないだろうか。
そしてそれは自分の中に矛盾したものを抱えていることにならないだろうか。
ーそれに対して、佐藤さんは「まずは敵地に入らないことには現状を変えることはできない」と答え、いわば戦略的矛盾を取っているように見えた。戦略的な矛盾はもはや矛盾とは呼ばかもしれない。

この授業に出てきた講師の皆さんは、みな強く見える。自分の中に矛盾を持っていないように見える。世界の現状や価値観に違和感を覚え、それをいかにしたら変えられるかに邁進している。

でも…多くの人は個人に染み付いた価値観や人との繋がりのなかで生きることによってもっと矛盾や葛藤を抱えて日々過ごすものではないだろうか。

例えば、私は女性として、女性としての生き方についてはよく考えることがあるし、現社会に不満を抱くこともある。

一人の人間として自立して、場所にとらわれることなく好きなことをして生きていきたい。
一方で好きな人と一緒に暮らせればそれで幸せ、それが実現できるなら自分のことを多少犠牲にしてもかまわないと思うこともある。結婚適齢期で結婚して家庭を持って子どもを産んで、親を喜ばせられるような人生を送りたいとも思う。

女性が性的な部分や見た目だけを切り取られて評価される社会にはうんざりする。
見せかけだけじゃなくて、纏う言葉・教養・振る舞いが素敵な女性になりたい、そういう部分こそ人に評価してほしい。
一方で自分が掛けられて一番うれしい言葉って、「かわいい」とか、そんな言葉じゃないだろうかと思いもする。

どれも本当に感じることだけれど、ある一つはまた別の一つと矛盾しているような気もしてくる。
こんな割り切れない・自己に矛盾を抱えたままでは世界を変えることはできないのだろうか。
すべて自分の気持ちが割り切られて、矛盾が一つもなくて、そうした状態に至って初めて世界を動かす原動力を手に入れられるのだろうか。

答えは分からない。でも、今はとにかく、この割り切れない気持ちの集合体を一つひとつ要素に分解してみて、どれが悪しき風習から形成された気持ちで、どれが自分の心の底からの欲求で...と振り分けてみるところから始めようと思う。

矛盾を抱えて生きる僕らは、世界を変えることはできないのだろうか。

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