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連載小説「オボステルラ」 1話「北の村のゴナン」


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第一章-「鳥が来た」

1話 北の村のゴナン


 「龍のように大きな鳥がいてね、その鳥の姿を見た者には不幸が訪れるそうだよ」。

彼の口から紡がれる、遠い唄のような声。

「でもその卵を得た者は、幸せになれる、そんな言い伝えがあるんだ。僕はその鳥を探して旅をしているんだ」。

 彼はゴナンのすぐ横で話しているのに、まるで自分とは異世界にいるかのようだ。彼が本当に現の存在か何度も確かめずにはいられないほど、いま彼らがいる状況と話している言葉は遠くかけ離れていた。

 歩く気力もなくへたり込んだ少年、ゴナン。枯れ枯れとした荒野。触れれば粉消してしまいそうな程にかろうじて形を保っている草。2人の目の前で動かなくなっている女性と赤ちゃん。

 そこで心を揺り動かされるには、ゴナンはあまりにも喉が渇きすぎていたし、お腹がすきすぎていたし、それらを感じないほどに疲れていた。そして多くの似たような死を見過ぎていた。

 「卵を、一緒に探しに行かないか?」
 
 彼、リカルドと名乗ったその青年は、ゴナンににこりと言った。瞳の奥がちかりと光る。彼は、喉は渇いていなさそうだ。きっとお腹も減っていない。細身だが痩せてはいない。高い身長に艶のある黒髪。

「その卵、食べていいなら、行ってもいいけど」。

ゴナンが浮世離れしたその男に言えた、精一杯の皮肉だった。面白くも何ともない。
 
 



 
 ゴナンの住む小さな村を干ばつが襲ったのは、もう1年前のことだった。

 それまでも、決して豊かな土地だったわけではない。どこからか流れ着いた民が、たまたま湧いていた泉を中心に荒れ地を開拓して、何とか食べられる程度の作物を得て、小さな集落を築き、質素に暮らしていた。どこの国に属しているのか住む人々には分からず、土地の名前すらない。南から来た旅人が「北の村」と呼び始めたことが、そのまま通称になった。最初は4~5家族だったのが、今は100名ほどの集落に。誰もが何事も求めず、何事にも頓着しないまま、ただそこに日々生きている、そんな土地だった。
 

 そんな北の村に訪れた最初の変化が、集落の外れに突如大きな屋敷が建ったことだった。1人の老人が村の人々へ慇懃にあいさつをし、村の占い婆の指示を得て、誰の者でもない集落の外れの土地に陣取った。あの荒れ地にどのようにして、あんな大きな建物を建てたのか、集落の人間にはよく分からなかったし関心も持たなかった。

 やがてその老人と数名の召使いが住み始めた。召使いが集落の方へ食物を買いに来たが、この集落ではお金はただの鉄くず、紙くずだ。すると今度は樽に詰めた水を持ってきた。

「我々の屋敷の敷地内には井戸がある、食べ物を分けてくれれば水をいくらでも差し上げよう」

 泉の水よりも清潔で美味しい井戸の水は、集落の人間にとっては美酒にも勝るご馳走だった。そうして、屋敷の人間と集落との貿易が始まった。やがて屋敷の老人は集落の主のような顔をするようになった。どうやらどこか別の場所で何かの肩書きを持っているらしいその老人は、支配者然とした態度で小難しいことを話して回り始めた。皆、彼のことを「お屋敷様」と呼んで、話はよく聞いたが、意味は分からなかったし、あまり興味を持たなかった。それでも老人は満足そうだった。
 
 「北の村」の上を、あの大きな鳥が飛んだのは、そんな時だった。
 
 集落の何人かの人間とともに畑作業をしていたゴナンも、はっきりとその鳥の姿を見た。思わず凝視したのは、その鳥がとてつもなく大きかったからだけではない。その背に、人が乗っているように見えたのだ。小柄な、少女? ほんの一瞬だったが、何となくあのシルエットは忘れないような気がした。あっという間に飛び去り、数秒後には豆粒のように小さくなって消えていった。

(あんなに大きい鳥だから、人くらい乗っていても不思議じゃないか…)

 この集落にはいないが、遠い町には馬や駱駝という人を乗せる動物がいるらしい。ここで生まれ育ち、この集落以外のすべてが未知の世界であるゴナンにとっては、鳥が人を乗せて飛ぶという不可思議な現象も逆に自然に受け止められた。

 



 「今日、大きな鳥を見たよ」。

 その日、家に帰ったゴナンは、すぐ上の兄・アドルフに今日の事件を話した。

ゴナンには4人の兄と小さな妹がいる。父は妹が生まれた直後に死に、長兄オズワルドが父親代わり。身長も体も大きい。次男ランスロットと三男リンフォードは双子だ。長兄ほどではないがやはり体格に恵まれている。女手1つで男5人含む6きょうだいを育てる母・ユーイは、はつらつとして大らかで、50歳近くという年齢よりは若く見える。兄弟は皆、金髪に薄い色素の目の色で、これは父の遺伝らしい。妹のミィは茶髪茶目で母似。きょうだいは上からオズワルド27歳、双子のランスロット・三男リンフォード25歳、アドルフ23歳、ゴナン14歳、ミィ9歳。名前からも分かるように、年齢が下になるほど扱いが雑になるのは、名付けにも現れているところだが、まあ仕方が無い。とはいえ唯一の女子である末っ子のミィは可愛がられているため、ゴナンはきょうだいのなかでは最も存在感が薄い。歳の割には細身で背も小さく、性格も言葉少な。ミィと遊んだり面倒を見たりはするものの、普段よく話すのは9歳上の兄・アドルフだけだ。

「大きな鳥? あの、見た者の不幸を呼ぶ鳥か?」

 アドルフは家族の中で一番博識だ。集落の大人達や、たまに屋敷の主人とも小難しそうな話をしては情報を得ている。背は高めだがゴナンと同じく細身で、力仕事はあまり得意ではない。何冊か本を持っているし、ゴナンに読み書きを教えてくれたのもこの兄だ。

「不幸を呼ぶ?あれが? よく分からないけど」

「茶色で龍のようにいかつい、大きな鳥じゃなかったか?」

 アドルフは、目にかかった少しクセのある白っぽい金の髪をかき上げながら、ゴナンに尋ねた。

「茶色だった気はするけど、一瞬だったからなあ。大体俺、龍もわかんないよ。それより、背中に女の子が乗っていたよ」

そう言うゴナンを、アドルフは鼻で笑った。

「鳥に人が乗れるわけ無いじゃないか。馬とは身体のつくりが違うんだから、すぐに振り落とされてしまうよ。まあ、不幸を呼ぶって言うのは、もっとあり得ない言い伝えだけどな」

そう聞いてゴナンは、「人は鳥には乗れないのか…」と知った。少し残念な気持ちもしたが、アドルフがそう言うのだからあれは幻だった気もしてきた。

「その不幸を呼ぶっていう言い伝えって?」

「ああ、それは…」

アドルフが説明しようとしたとき、母が「ご飯よ」と呼びに来た。その話はそのままお預けだったが、結局ゴナンはその身をもって経験することになった。
 
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 泉が枯れ始めたのは、その鳥が飛び去ってわずか3日後のことだった。最初はあまり大事(おおごと)と思っていなかったが、3ヵ月後には底が見え、泉とは名ばかりの水たまりになっていた。雨は全く降らない。

「こんな事は初めてだ! この泉が枯れると、この集落は終わりだ」

 飲み水も、畑にやる水も、すべてここが源だ。慌てた集落の人間達は、屋敷の老人のもとへと急いだ。

「お屋敷様!どうか井戸の水をお与えください。これでは村のみんながからからに乾いて死んでしまう!」

「なるほど、それは大変だ!」、屋敷の主は非常に大仰に、驚いた顔をした。

「もしや井戸の水も涸れているのでは? お屋敷様は大丈夫でしょうか?」

そう言って心配そうに見つめる善良な村人達の目をしっかり見つめ、主は眉に悲しみを込め、慈愛深そうに微笑んだ。

「井戸はまだ水は出ているよ。それに安心しなさい、私は水を出し惜しみしたりはしない」。そして力を込めた。「私は門を閉ざさない、今までと同じようにね」

 哀れな集落の人間達はありがとうございますと屋敷の主の足元に跪いたが、じきにそれが非情な宣告だったことを知った。今までと全く同じ通り、作物を納めることを求められたのだ。

 もともと、自給自足、自分たちが食べるだけを作っているこの集落だ。水のために作物を手放す余裕がある家は、集落のどこにもなかった。

 それでも最初はなんとかやりくりして、作物を持って水と交換した。屋敷では今までと同じように、作物の量と質に応じた水を交換した。とにかく今までと変わらず、とても正確に計量された。違うのは、とにかく村に水がないということだ。

 雨が降らないまま、半年以上が経っていく。

 素朴なこの村の民は、これ以上のことをお屋敷様に求めたり悪態をついたりすることはなかった。その代わり、意識の矛先があの日ゴナンがみたものへと向いていた。

「全部、あの、不幸の鳥のせいだ」
 
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 「おい、ゴナン、生きてるか?」

 すぐ上の兄、アドルフがゴナンを起こしに来た。土の上に柱を立て、木で囲いだけをしたような簡素な家。その隅っこ、ほぼ屋外ともいえる所に掛けられたハンモックが、ゴナンの寝床だ。ほつれが目立ち、今にも落ちそうなところで器用に寝ている。しっかりとした木のベンチは、兄妹たちや母のもの。

「生きてるよ、何とか」

 ゴナンはだるそうに起きた。最近はおはようの代わりに、この挨拶が定番になっていた。半分冗談で、半分は本気だ。集落でも、この干ばつの影響で亡くなった人がもう何人もいる。ゴナンも昨日は体を起こせず、ずっとこのハンモックに横たわったまま。あの鳥が来て1年余り。ゴナンは15歳に、アドルフは24歳になっていたが、体は昨年よりどんどん小さくなっているようだった。

 「今日も水汲み?」

起きながら、せめてもの朝の身繕いに土色の布を頭に巻いた。すでに日は少し高くなっている。

「そうだな、川に行ってくるよ。兄貴たちは山の方へ行っている」

もう、岩と土しか見えなくなってしまった山へ、食べ物を探しに行っているようだ。といってもここ1ヵ月ほど、動物が見つかったことはない。雑草ともいえないカサカサの草や、時に運良く見つかる実のようなものでなんとか誤魔化している。

「俺も行くよ」

 兄たちに遅れをとったことに慌てて飛び起き、ゴナンは立ち上がってアドルフの方へと駆けた、がすぐにふらつき、それを支えようとした兄もろとも地面に倒れ込む。

「は、はっ、はは…」

ほぼため息のような乾いた笑い声を吐き出し、2人は力なく立ち上がって、乾いた木の桶と樽を荷車に乗せて川へと向かった。めまいがする気もするが、日差しのせいかもしれない、とにかく体は動く。体を動かせるのなら、どうでもよかった。
 
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 家から荒れ地の丘を越え、2時間ほど歩いた場所にある川。かつては暑い日に水遊びに興じることができるほどの流れがあったが、ここも随分と水量が減り、今は2m幅ほどの流れがかろうじて残っている。ここが、村の人々の最後の生命線だった。住まいをこちらへ移すことも選択肢の一つではあるが、周りは岩地が広がり、木々や平地が少なく、人の住む地として落ち着かない。それでも何家族かはこちらへ住もうと努めたのだが、結局、元の住み処へと戻ってきてしまっていた。

 ふらふらとたどり着くなり2人は、顔を浸すかの勢いで水面へと向かい、泥色の水を手ですくって何度も口に持っていく。砂や小石も交ざってくるが、上手に避けながら飲む方法を覚えてしまった。命の水だ。

 何とか乾きを潤したら、足首ほどの深さの流れに桶を無理矢理傾けて入れては樽へと水を注いでいく。2人は無言で、何度もそれを繰り返す。その行為だけが、生きていることの証であるかのようだった。


 「鳥のせいなの?」

 ゴナンはおもむろに、兄に尋ねた。アドルフと鳥の話をするのは、1年前にその鳥らしきものを見かけた時以来だ。あのときから比べて、自分の体の厚さは半分くらいになってるんじゃないかなと、骨が浮き出てきた自分の胴にチラッと目をやった。

「ああ、鳥…。茶色い大きな鳥を見た人には、不幸が訪れるっていう言い伝えがあるんだよ。でも、その卵を手に入れれば願いが叶うって」

「村のみんながいってるやつか…」

「まあ、ただの言い伝えだよ。この干ばつも、泉が枯れたのも、もっと違う原因があるんだよ」

「理由って、どんな?」

「それは…、俺には分からないけど。鳥のせいではありえないってことだ。どう考えたって、ありえない」

 そういえば、他の家の人々は鳥がこの干ばつの元凶だと声高に叫んではなにかのまじないをしていたが、ゴナンの家族は誰もそのようなことは口にしない。おそらく、この博識なアドルフの存在があるからだろう。

「ありえないっていうなら、ありえないか」

さして深くも考えず、ゴナンは納得した、というか、どうでもよかった。そんなことよりも、この泥水を少しでも多く樽に注いで家に持って帰ることだけが、今、一番大事なことだった。
 






 
 日が傾き光の色が黄味を帯びてきた。

「そろそろ戻らないと、夜になるな」

アドルフがそう声をかけ、2人は帰路へ着く準備を始めた。そのとき、ゴナンは下流の方に人影を見た。見覚えのある女性がフラフラと歩いているように見える。

「あれ、ミーヤさんと娘さんじゃないか?」

「え?どこに?」

 ゴナンはきょうだいの中で一番視力がいい。アドルフには見えていないようだ。ミーヤは同じ村に住む女性。ゴナンの家と近くはないが、半年前に赤ちゃんを出産している。最近、夫が衰弱して寝込んでいると聞いていた。

「ちょっと行ってくる。兄ちゃん、待ってて」

 ふらつき方が尋常ではないように見えた。人の事を構っていられる状況でもないが、胸が騒いだ。心が急ぎ、歩くほどの速さながら駆けていったゴナンだが、なかなか彼女の姿が現れない。

(おかしいな、見間違えだったかな)

時に岩に足を取られながらも、10分くらい走っただろうか、アドルフの姿が見えなくなってしまった。もう戻ろうかと踵を返しかけたとき、ゴナンは目線の下、川辺からは少し離れた岩場にうずくまる女性の姿を見つけた。

「あ」

駆け寄ろうとしたとき、クラッとめまいが来た。ろくに食べてもいないのに、急に動きすぎたのだ。力が抜けて視界が真っ暗になる。下は岩がゴロゴロ転がる岩場、まずい。

が、ゴナンの体は倒れなかった。背後に現れた人影の、力強い腕がぐっと支えた。

「…うわっと、おい、踏ん張れ…!」

今、この村ではなかなか聞けない、張りのある声。アドルフ兄ちゃんではない…、と思いながら、ゴナンは意識を失った。
 

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