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【父が不倫した】発覚(vol.1)

「見てこれ。あのジジイ浮気してた」

珍しく、妹からの着信が数件残っていた。取材中で電話に出られず終わってからLINEを開くと、数枚の写真とともに、いきなり父親の不倫発覚を告げるメッセージが届いていた。

そこに写されていたのは、不倫相手から父へのメール。

「思うのです。浩一郎と別れられないって」

父・浩一郎宛のメールの送り主は優一という聞いたことのない人物。妹に電話をし、「どういうこと?」と聞くと、母が偶然父の電話の会話を聞いてしまい携帯をチェックしたところ、上のメールが出てきたのだという。

「母に呼ばれて、父がゴミ捨てに行ってる間に私も携帯チェックした。受信も送信も、この前撮ってた孫の写真も消されてたけど、優一からの大量の着信履歴は残ってたよ。メール開いて予測変換で『ゆ』って打ったら『優子』って出てきたから、本名は優子だね」

なんともわかりやすい。父の携帯の「お気に入りダイヤル一覧」にも、家族の名前に混じって「優一」の名はしっかりと並んでいた。

昔、私が二股をかけられていた時、相手の男は私の苗字だけを登録していた。ありふれた名前ならなおさら、そのほうがなにかと言い訳もしやすいはずだろう。友人なんて、不倫相手に「引越しセンター・鈴木さん」と登録されていた。

でも、父は相手の女の痕跡を残しておきたかったのだと思う。完全に別人にはできなかったし、その名前でいっぱいになっている携帯を見て幸せを感じていたのだ。

この日から、私たちの生活も「優子」でいっぱいになった。

温泉旅行

母が父の怪しい電話を聞いたのは、妹から電話があったちょうど1週間前、10月のある木曜日のことだった。その週末、私と彼氏、母、妹とその子どもたち、そして義理の妹とその子どもたちという9人で温泉旅行に出かける予定になっていた。

「明後日は二度とないチャンスなんだから、少しでも会おう」

実家のリビングでうとうとしていた母は、寝室から聞こえてくる話し声に気づき聞き耳を立てた。普段、電話などほとんどしない父が、何度も何度も「明後日は二度とないチャンスなんだ」と誰かを説得していたという。そう、“明後日”とは、まさにその旅行の日だった。

翌日の夜には私たちが実家に前乗りしたため、母は何も確認できず、不安を抱えたまま温泉旅行に出かけた。そして帰宅してすぐ、父が寝静まったのを見計らって携帯をチェックした。

父の携帯は受信も送信もほとんど消されていたため、チェック初日は先に書いた「浩一郎とは別れられない」という趣旨の、優子からのメールしか見つからなかった。母は「相手から一方的に迫っているだけで、まさか肉体関係はないだろう」と思ったという。思った、というよりは、何が起きているのか理解するのを必死で拒んでいるように聞こえた。

しかしその“抵抗”は、2日目のチェックであっさりと崩れ去った。2人が待ち合わせのラブホテルを相談するメールが出てきたのだ。

「206号室がいいな」

優子が部屋まで指定していたため、メールを見た私も妹もすぐにそのラブホテルを検索した。

母には今でも言えていないが(と、言っても後にもっと生々しいメールが出てくるのだが)、優子が指定した206号室は、そのホテル唯一の“SMルーム”だった。当然、私も妹も言葉を失い、そっと検索窓を閉じたのは言うまでもない。

こうして疑惑が確信に変わるまで、本当に一瞬の出来事だった。同時に、楽しかった温泉旅行の思い出も一瞬に消え去ってしまった。

父にとって“チャンス”の日だったその旅行は、私にとってはとても重要なものだった。

温泉旅行を計画したのは、私の彼氏だった。長年父との確執を抱え実家から遠ざかっていた私を見かねて、彼が「たまにはお母さんを労いに温泉に行こうよ」と言い出したのだ。彼との結婚を意識するようになったことで、私も「家族との関係修復に向けて一歩歩み寄るタイミングかもしれない」と、賛同した。

大学進学とともに家を出てほとんど帰らなくなっていた私は、弟と結婚して 10年目になる義理の妹とはまともに会話する機会がないままここまできてしまっていた。気がつけば姪っ子と甥っ子は小学生。地元で生活し、知らぬ間に増えていく家族とそこで築き上げられていく“絆”的なものを想像すると、もはやそこに自分の居場所がないこともわかっていた。

それは自分が望んだことでもあったし、そのままでもよかった。でも、唯一仲の良かった妹が、妹の子どもたちが、「家族」というコミュニティに私を繋ぎとめようとしてくれていることに少しホッとしているところがあったのも事実だった。

だから、もう少しだけ歩み寄ってみたかった。家族っぽい時間とか過ごしてみたかった。実際、温泉旅行は楽しかったし、本当にいい機会だったなと思いながら私は東京に戻った。

でも、結局“また”、父にハシゴを外された。

あの日、「楽しかったねえ。次は浩ちゃんも来れるといいなぁ」と言っていた母は今、どんな気持ちだろう。それを聞いて、「いつかは、父も一緒に来られるようになるかな」と心を緩めた私は、“緩めてしまった”私は、今、怒りに押し潰されそうになっている。

ここから、家族を疑うだけの日々が始まった。

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