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「ひろゆき氏の“1%の努力”から考える、努力信仰の虚構 と 為せばなること」もっと幸せにはたらきてぇなぁ仕事論

努力ってのは麻薬である。

とは別にひろゆき氏はいってないのが、たまーに思うこと。

最近、ひょこひょこ、著書を出されているひろゆき氏の 1%の努力。
内容としては、環境と心の持ちようの大切さ。ビジネス的にいうとポジショニング。そして、人生の無意味さと幸せの総量。とかとか。

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「両手をふさぐな片手を空けろ」

という言葉が出てくるが、常に現状でいっぱいいっぱいだと何かが起きたときになにもできない、そして、チャンスが来たときに掴めない。

そして、「頑張ればなんとかなる、と思っている人は甘い」とも。

いやね、努力でうまくいくって、かなりバイアスがかかった見方だとおもっているんですよ。個人的に。

なにかを為すのに、なにかをしなくちゃいけない、というが
為せばなる、為さねばならぬ。何事も。 の真意らしいんですよね(ほんまかどうかしらんけど)単純な因果関係的な。

で、努力のバイアスってなぜ怒るかというと、子供の頃って成長するじゃないですか。昨日できなかったこと、去年できなかったことができるようになる。

もっと幼少期にいえば、喋れなかった言葉が喋れるようになる。立てるようになる、走れるようになる。

学校でも、読み書きができるようになる。とか。

この辺の、生物学的な成長と努力の相関を因果関係を誤解している部分があると思うし、個人的な体験としてできるようになった=がんばったからだ! のようが、自己肯定感も高まるし、精神的にいいことだとは思うんですが、
ここの因果と相関をふわっとしたままだと、努力すればなんとかなる信仰が出来上がる。

自分の好きな言葉に

なんでも説明できることは、なにも説明していないことと同じである

って言葉あるんですが、努力も

「それって努力不足でしょ?」
「努力したからできました」
「努力すればできます」

的な、信仰に近いものがあると思うんですよね。

で、ここで、正しい努力が必要なんだな、って話になるかとも思うんですが、

そもそも、そこで努力する価値があるのか、って話。

まぁ給料がわかりやすいんで、あれなんですが、もし高い給料を得ることを目的とするんだったら、そういった業界にいかないといけない。
そもそも、薄利の業界だとしたら、やるだけやっても利益がでない。

利益というのは、別にやったこと自体には意味がなく、その行為やなにがしかがに対する対価として発生する。

その際の努力や頑張りは特に関係ない

もちろん、逆張りで、斜陽産業の業界にいって、利益を取るってこともだめってわけじゃないけれども、その仕組みやどうやるかを考えないといけない。

それこそ、努力ではない別の領域の錯誤が必要。

ひろゆき氏の著書では環境の影響の大きさが解かれている。が、事実にネガティブもポジティブもない。

それを知った上で、どう動くか、どう動くのがいいのか、が大切。

それは、ある種、努力や頑張りをする人には、しんどい話かもしれない。
だってそれは、努力しても頑張っても報われないかもしれない、ということの話だから。

でも、信仰心で神は生まれない。
努力とがんばりとの正しい付き合い方とあり方をふまえ、どう生きるかを考えるべきなだろうなぁ、とか思ったりしたわけです。

努力という麻薬を取った時に向き合う現実。
それでも 為せばなる、為させねばならぬ。何事も。

なんかやったら、なにかが動く。


というわけで今回はここまで! もっと幸せにはたらきてぇえええーー・・・・! ではまた!!




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