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INFP・HSP傾向が気持ちをラクにできるかなと思われる方法3つ(体験談)

こんにちは。INFP・HSP傾向のある自称小人属性のりさです。このnoteでは、私が「雇われずに自分の力で稼ぐ」を目標に、考えたり、実行したりしたことを備忘録的に書いていこうとしています。

今回のお題は、「INFP・HSP傾向の気持ちがラクになる方法」です。自分の体験談なので、万人に当てはまるかはわかりません。また「もうそんなことは知っている」という内容かもしれませんが、備忘録的に書き残しておこうと思います。


注意事項としての前書き

MBTIタイプ論からのINFP、HSP自己測定上のHSPは、私の性格のすべてを表しているものではありません。INFP、HSPにもさまざまなタイプ、濃さがありますので、結局私は私です。『INFP、HSPの傾向がある』くらいに捉えていただくのが良いと思います。また、MBTIタイプ論もHSP測定も言っていますが、それは人にレッテルを張るものではなく、私という人間の一番わかりにくく私としても説明しにくい部分を分かりやすくシェアできる可能性が高い定義として使わせていただいています。

1.籠城できる強固な城を築く

これは、本当に城をつくるわけではなく、あくまでマインドの中に城のような部分を持つということの比喩です。

つまり、まずマイワールドを強固に作って大切にするのが良いんじゃないか、ということです。

誰でも意識の中に聖域があります。他人が立ち入れずに自分の中で大切にする部分です。そこに誰の侵入も許さないようにするのは効果的だと思います。

なぜなら、INFPでかつHSP気質、特に私の場合はその聖域に他人からの刺激を侵入させがちだからです。当時は、侵入させることでその人と分かり合えるのではないかと思っていたのですが、いつも分かり合えず徒労に終わりました。私の場合は、人類皆兄弟!と思ってしまいがちなところがあって、また共感性も強かったことから境界がとても薄かったのです。

そこに侵入されると、自分軸を見失いがちになります。自分に対して懐疑的になりやすくなります。人間関係が不安定になります。それによってストレスを感じやすくなります。

なので、まず侵入させないようにしてみるのはひとつの手かなと思います。
侵入させない方法としては、

A.物理的に侵入させない(一人になれる空間を作る)
B.心理的に侵入させない(『嫌だ』と感じる情報を断ち切る)

の2方向で自分を守るのが必要だと思います。

ただし、籠城しているときは身勝手にもなりがちです。外と交流できてはじめて自他を重んじる態度が身につくと思いますが、まずは身勝手で良いと思います。そして、もし上記のような態度を取っている方がいたら「まず自分の世界を守ろうとしているんだ」と思ってあげてほしいです。

そして、上記で安心感を獲得してから外に出てみましょう。その頃には「外に出てみたい」欲が出てくるはずです。それが自然に出てくるまではマイワールドを大切にしてそこを楽しみたいですね。


2.いったん、外の世界とは分かり合えないと割り切る

1を実践していたときの私の感想ですが、自分の周囲の環境の影響もあり、マイワールド(好きなもの、推し、ハマっているものなど)を大切にしている状態でそれを誰かと分かり合えるという機会はほとんどありませんでした。今ではネットが普及したからもう少し簡単にできるのかな。

ただ、ネットが普及したからと言って、自分の身近に自分の好きなものを近い価値観で分かち合えることは難しいかもしれません。

1の時期が終わり、外と交流していこうと思ったとき、私がさみしいな、苦しいなと感じたのは、その「分かり合えなさ」でした。

ここに関して自分の性質を交えていることは、

A.好きなものを表現するコミュニケーション力などがない
そもそも人と話すのが苦手な上に、興味のない人に対してどう説明していいか分からない。同じものを知っていることが条件になるけどその人がいない。好きなものが他の人からしたら分かりにくいものであることもある。さらにそれを分かりやすく伝えるという部分にまで考えが及ばない。相手の好きなものを聞いて、それに関連付けて自分の好きなものを話していくコミュニケーション力がない。

B.限定された範囲の人間関係で自分に興味を持つ人がない
Aのようなコミュニケーション力がなかったので、私に興味を持つ人もほとんどいない中で、自分が好きなものの話はなかなかする相手がいませんでした。話を聞いてくれる人がいたらもう少し安心できたかもしれませんが、片田舎の固定観念の強い人たちが住む地域では難しいことでした…。

ここでは、私に起こった自分要因Aと環境要因Bを挙げてみました。この要因はすぐに良い方向へ向かうということはなかなか少ないのではないかと思います。Aは、もう少し自分自身が成長する必要がありましたし、それには時間がかかりました。Bは、自分で「環境を選べる」くらいの視点を持ったりそこまで成長しないと変化を起こすことは私には難しかったです。

ですので、AとBの条件があまり良くないな、と思える状態なら、「分かり合えない!しょうがない!いっか!おわり!」くらいで、マイワールドを外の世界と切り離してしまってもいいと思います。「自分がイメージしている自分の世界は素晴らしい!」と、それを楽しんでください。

もちろん、人間とその秩序維持のためにあまり健康的でない世界観に浸るのは個人的におすすめはしませんが…それは余計なお世話かもしれませんね。INFP傾向の平和主義的考え方がおありの方でしたら、そこまで極端な不健康思考には至らないかと思います。他人の権利を侵害しない限り、どんな世界に浸っても良いと思います。

浸りきったら自然と、「これをどうにかして伝えたい」という意欲が自然とわくと思います。そのときに、他の人が自分と同じように感じていないことを知り、表現やコミュニケーションの工夫を行っていくと思います。


3.自分の心地よさだけ追求する

これは、1と2のまとめようなものですが、とにかく徹底して「自分の心地よさ」を追求する時間と空間をつくる必要があります。私はその必要がめちゃくちゃありました。

INFPでHSP傾向のある方でしたら、一人の時間が充実している感覚をお持ちかと思います(100%かは私には分かりませんが)。なので、その充実時間をいったんゆるぎないものにすると、安心感が増すと思います。

もちろんここにはリスクもあると感じる方もいるかもしれません。

部屋から出てこれなくなってしまうのでは…?
考え方が極端な方向に進んでしまうのでは…?

今の私では、この二つの不安に対して言えることがあります。

外の世界は、自分の心身が安定するとすごくおもしろい。きっと大丈夫だから、いったんそれを忘れてマイワールドに没頭してみて。安心できて気持ちが動いたら、ちょっと外に出てみて。

ということと、

INFP傾向のある方でしたら、平和主義に立ち返れると思いますので、考え方はそこまで極端にはならないかなと思います。統計を取ったわけではなのであくまで勘ですが…。私のように心身をぶっ壊した夜がない限りは大丈夫だと思います。


まとめ

テーマは、無条件の安心です。
それを自然と感じられる環境をつくることが、まず大切だと思います。

上記に挙げた内容をしつつも気持ちに違和感のあるときは、専門家によるケアが必要かもしれません。私は専門家でなく、またその方を案内できないことも恐縮です。。何か良い情報がありましたらお伝えできたらと思います。またすでに情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただければ幸いです。

以降は私の感想だけです。

私は「自分の心地よさ」を追求し、その環境に妥協しないことがとても大切なこと、またその条件は人より多く細かいということに、最近気がつきました。条件が人より多く細かいので、なかなか理解されません。前にも書きましたが、私が幼いころは「そんなのは甘えだ」と言われていたような内容もあります(それを言われたくなくていつもほかの人と同じ条件でも我慢していました)。でも、私にはその環境であることが必要なんです。

脚を骨折している人にサッカーボールをその脚で蹴らせますか?
耳の聞こえない人に「筆談するのは甘えだ」と言いますか?

その人の状態や性質に合った環境を整えるのは当然のことです。私には私に合った環境が必要です。そして、その環境を自ら勇気をもって整え、そのために声を上げることも大切だと感じます。

骨折していない人、耳が聞こえている人だけを中心に考えた社会だと、辛い思いをする人がいます。ですが、残念なことに社会でバリバリ働いて社会の秩序っぽく見えるものをつくっちゃう系の方は、骨折をしていないとか耳が聞こえるとか、そういった方が多いようなので、自然とその人たち寄りの仕組みができてしまいます。これは、その人たちに罪があるとか想像力がないとかではありません。人はこれだけ情報網が発達しても、自分とその周辺の人を基準に考える癖が抜けません。だからこそ、社会の秩序っぽいものをつくっているような方にいつか届くよう、声を上げることが必要だと思います。

特に、私のような性質は一見すると「現在の社会生活をするのに何の問題もない」と判断され、「私たちと同じようにしろ」と求められることが質がわるいなあと感じます。ただ、相手からすると私の性質なんて分かるわけがないので、そう言ってくるのも自然なことです。なので、「こういう性質で、こういうことはできません」と言い切る必要があります。そして、そこに理解のない人は、それこそ想像力と他人を思いやる気持ちのない方のように見えますので、早々につながりを放棄した方が良いかと思っています。

一応日本では、生活インフラの基礎はできているし、ある程度社会福祉制度も整っています。もちろん不十分なところはあるかもしれませんが、大昔の戦争だけしていた社会と違って、私のようなド平民でも一応安全に暮らせる社会になりました。戦争だけしていた時代だったら、私はすぐに敵兵の手にかかっていたか、戦うことになってもすぐやられていたと思います。だからこうやって安心して夜眠れるというのは本当にありがたいことです。その上で、また今をもう少し良い方向へと考えるのであれば、自分が「自分を発揮して」生きられるように、自分も環境も整えたいという希望があります。それを実現すべく、まずは今の私を縛っている私自身の思い込みを開放したり、環境づくりに妥協しないことなどやっていけたらいいなと思います。

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