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INFP・HSP傾向の私が「力を発揮した状態」とは何かを考える。

こんにちは。いわゆるINFP、HSP傾向のあるりさと申します。このnoteでは、私が「雇われずに自分の力で稼ぐ」を目標に、考えたり、実行したりしたことを備忘録的に書いていこうとしています。

今回のお題は、「INFP・HSP傾向の私が力を発揮した状態はどんな感じか?」です。

前回、自分が力を発揮するための条件は何か書き出してみました。そして、その条件になるのに妨げとなるものはできる限り取り除く方向でいきたいということを書きました。

そして、その条件が満たされたとき、自分にはどんなことができるのか、自分の視点から書いてみたいと思います。

今回はあくまで私個人の特性なので、他の方でぴったり当てはまる方はいらっしゃらないと思います。ですが、性質の近い方で部分的に当てはまる場合もあるかもしれないので書いてみます。



注意事項としての前書き

MBTIタイプ論からのINFP、HSP自己測定上のHSPは、私の性格はもちろん人類の性格のすべてを表しているものではありません。INFP、HSPにもさまざまなタイプ、濃さがありますので、結局私は私です。『INFP、HSPの傾向がある』くらいに捉えていただくのが良いと思います。また、MBTIタイプ論もHSP測定も言っていますが、それは人にレッテルを張るものではなく、私という人間の一番わかりにくく私としても説明しにくい部分を分かりやすくシェアできる可能性が高い定義として使わせていただいています。


0.「できること」の前書き

まず、今回の話をする前に3つ前書きが必要です。

一つ目、今回の文章の中では「私の力=私にできること」と定義

タイトルと使っていることばが違いますので、混乱がないようにここで定義をお伝えします。

二つ目、「できること」とは、あくまで私から見た私に「できると思われる」こと

これはどういうことかというと、他の人から見た「私ができること」とずれている可能性がもちろんあります。完全な一致は難しい領域だと思いますが、今回はあくまで私視点で書いていく、ということです。

三つ目、「できること」の中でも、対外的に活かしていくことができそうな事柄

この基準は、これまでと現在の私の生きてきた環境で私がそう感じられる、というすごく主観的なもので恐縮です。ただ、35年以上の観察とできる限りニュートラルな立ち位置から書けたらとは思っています。そして、「対外的に活かせる」としましたが、「活かせそう、活かしたい、でも活かし方が分からない…」ものを書き出していきます。

最初にも書きました通り、私は「雇われずに自分の力で稼ぐ」を目標にしているので、そこにつながるように今回の「できること」を書いていく流れにしようと思いました。



1.私にできると思われること

わかりやすいよう、3つに絞ってみていきます。

A.深めの内省とその言語化

内省している時間がとにかく落ち着くのと、そこで体験したことをかみ砕いて自分の中で必要な結論を出すことは、だれから教えられるでもなく思春期には自然と身についていました。またそれをことばや文章にするのも抵抗感はなく、今回の「できること」の部類に入るのではないかと思いました。

B.傾聴と共感

良くも悪くも人の話をとてもよく聞く傾向があり、それを深めに自分の中に落とし込みます。これが悪い方に働くと、自分に必要のない本当は避けるべき情報も深めに受け取って傷ついてしまったり苦しい思いをしてしまう場合があります。良い方に働けば、だれかが困っていること、大変なことを深めに受け取り、真摯に聞き、共感できます。

以前の私はこの部分が色濃く出て、悪い方に働くところまで行ってしまったので、何とか調整できないかと模索した時期が長く続きました。今もまだ調整中ですが、相方にもこの部分は私の特性だと太鼓判を押してもらった部分なので書き出してみました。

C.新しいアイディアの創出

今までコミュニティに属してきた中で、この現象が私に起きなかったことはなかったなあと、振り返って改めて思いました。これをもっと上手な方法でコミュニティのだれかに伝えられていたら、いろんなことが変わっていたかもしれない…と自分のコミュニケーション力の低さを目の当たりにします。当時はコミュニケーション力がないことにすら気づいていませんでしたけど。

それはさておき、やはり現状とは違ったアプローチで問題を解決するために新しいアイディアが浮かぶのは私の特性のようです。そして、精神的に幼かった今までは「私のアイディアの方が正しい。全部そうなるべきだ」という極端な思考でした。お恥ずかしいです。ですが最近やっと、私のアイディアは一部で功を奏するだろうし、現状の仕組みで必要性が補われている部分もある。やっぱりアウフヘーベンで良いとこ取りしていくのが良いなあと感じています。


2.「できること」をどう活かす?

・「できること」を書いてみた感想

まず、感想から書いてみようと思います。
ここは思うがままにだらだら書いているので、読み飛ばしパートです。

率直に言って、一般的によく言われているINFPっぽさがあるかなと思います。その中でも私が呼吸をするように自然にしているのが上記の3つだと思いました。

ただ、これを私のテーマである「雇われずに働く」に落とし込んでいこうとするときに、中流労働者階級程度の私の立ち位置や知識では「働く」につながりにくいなあとは思います。

例えば内省そのものはすごく個人的な活動なので、一見すると社会経済活動の「稼ぐ=他者とエネルギー(お金)交換をする」と相性が良くない感じがするなあと思っちゃいます。ただ、深さにも寄りますが、内省が好きな方同士でダイアローグ的なことは楽しいかもしれません。仕事になるか分かりませんが。

傾聴と共感で仕事をしよう、とするときに、うまくすれば私はものすごい充実感が得られる確証はあります。しかし、これまたランダムな対複数人となると自分の疲弊度が心配です。福祉やカウンセリングなどはこの方面にあたると認識しています。現在この職種で働いていても、よく見かけるのが「複数人相手」「詰込み型」「低賃金」と、私のようなHSP傾向のある人間にはとてもキツい環境です。すごい充実感あるのになあ…。もっと良い環境があるかもしれませんが、私の周りには見かけません…情報ありましたら教えていただけたら幸いです。また、例えばカウンセリングで割と高額報酬で働いた場合、私のように心理的に助けてほしい人がいたら経済定期に富裕層ではない可能性が高いと思ってしまうので(自分がそうだから)、高額報酬でという考え方にあまり積極的にならない気持ちもあります。ただ、自分が身を削って経済的に苦しい中でカウンセリングをするというのもこれまた精神衛生上どうなの?と思うのです。この辺は今書いていてちょっとやり方次第化もと思えることが出てきたので、引き続き検証します。

新しいアイディアに関しては、仕事にするというよりはむしろ、仕事の中で仕事や環境をよりよくしていくために使っていきたいなあと思います。また、私の中でもこれに価値を見出してもらえるように外に出す訓練が必要だと感じました。

ここから先はさらに私的な最近のアイディアを書いてみるだけの部分なので、スーパー読み飛ばし箇所です。興味ない方は次の小見出しまでどうぞ。

例えば、私は今、児童福祉の職、いわゆる放デイで働いていていろんな特性の子と接しています。その子たちが無事学校卒業→就業できるように学習的な支援をする施設なのですが、私はどうもやっぱり座学ちゃんとやりましょう派ではないようです。なので、学習をやりたくない子にやらせるという強要性(といっても本当に無理矢理というわけではないのですが)が苦手です。脳内のドーパミンの作用が適切でない状態がADHDだと聞きますが、ADHDで特に多動の傾向が強い子に「席について黙々と地味な学習をしましょう」は拷問に思えます。その子もやる気がないわけではなく、興味があることですぐに報酬(達成感)と感じられることがあるものには楽しそうに反応します。なので、そっちを先に与えるべきだと私は思います。ある子は音楽が好きで周囲の音にもよく反応し、おもしろい音を自ら作り出す能力があるのでDJに向いているのではないかと思います。本人も興味があるようで、そういうことに精通している大人と話をしたり、体験できる場所があったらいいのに!と強く思います。そこで興味のあることでドーパミンの作用が適切になればと思うし、興味がある道だからこそ困難にも向かって行けると思うのです。つらいだけで自分的に報酬も得られない道はだれも選びません。学校で五教科勉強するのではなく、特性に合った仕事に早い段階から触れられるようにできる施設があったらいいなあと思うのです。ただ、もちろん私にそんな施設をつくる力はないし、学習施設が不要なわけでもありません。黙々と地味な学習をきちんとこなせてそういうことを得意とする子もいて、その子の就労には学習施設が必要です。やはりもっともっと個人の特性に合った選択ができる世の中になったらいいなあとは思います。私がイメージしたような施設も少しずつですができているようなので、そういったムーブメントが広がっていくといいなと思います。

・「できること」を活かせる環境

さて、上記に挙げた「できること」を活かせる環境について、前回の話と絡めて見ていこうと思います。

>前回の話

今回は、「環境」ということばを使っていますが、前回と絡めて言うと、「力を発揮できる条件が整った環境」という意味です。

前回、力を発揮できる条件とは、私のスムーズな流れを妨げるものがないこと、と言い、妨げるものとは「職場環境や対人関係における過度なストレス」ということで、それをできる限り取り除こう、という話をしました。

その環境が整ってはじめて、私は「できること」に集中できると思うのです。そして、「できること」を活かして働くのであれば、最高のパフォーマンスをするため、その環境をつくることに妥協しない方がいいと思ったので改めて書いてみました。

現在の私は、その環境を最高のものにするための現実的な稼ぐ力がありません。自分に合ってない社会環境で回り道させられるのが悔しいとは思います。ただボヤいても何も変わらないので、この先は少し回り道をして軍資金を整えてから環境づくりに取りかかるかなあと見込んでいます。

なので、私に大切なのは自分を整えていられる環境づくりで、しばらくはそれができるようになるために行動していく予定です。

・「できること」で創る未来

さて、ここまで書き進めてきて改めて思った二つのことに言及したいと思います。ひとつは、やはり上記の「できること」で「職を探す」ことは、一平民(以下かもしれない)私にはとても難しいのではないか、そこを活かして働くには自分でつくるしかないかもしれないということ、もうひとつは、私を含めた近いタイプの方が連なって仕事をしてみたらどうかという仮説です。

書き遅れてしまい恐縮ですが、私の直近の目標は「もう少し長い時間働いて、もう少し稼ぐ」というものです。なので、その目標に対して、上記の「できること」で「職を探す」ができたらとても良いのですが、私のような「未経験」「中途採用」「時短希望」「できたら在宅」「週3(本当なら今のパートの仕事と組み合わせたい)」を満たすところもほとんどない上に、「内省と言語化」はそういう職業を見かけたことがないですし、スピリチュアルな方に寄ってもいいのかもしれませんが、私はあまり興味がないです。エッセイストとかにも当たるかもしれませんが、私がそれですぐに報酬がもらえる結果を出せるかと言ったら無理だと思います。とりあえず、現状の私の職探しは難航しています。しかも、私が提示する条件が「贅沢なのでは…」と思ってしまう節もあります(一兵卒は苦労して働けの考え方で育っているので)。そういう見方もあるかもしれませんが、これは私の現状と性質と将来を考えて提示している条件なので、やはりこれを主軸にして合ったものを見つけていく、必要出れば適切なところで妥協する姿勢が必要だと思います。

次に、私を含めた近いタイプの方が連なって仕事をしてみたらどうか、ということについては、ことばで説明するより図で見た方が分かりやすいと思います。

だいぶ頼りない図ですが、ご容赦ください。。
あと、お絵かきソフトで日本語入力ができず…英語表記です。

Quite poor at commercializing : 経済活動がわりと苦手
Quite good at commercializing : 経済活動がわりと得意
Something that looks like "social" or "Economic Community" : 経済活動のように見えるもの

青緑の弧が連なっているのは、近いタイプの人の集まりだと思ってください。経済活動が苦手なタイプの人たちの得意なこと、素敵なことを、同タイプの中でも経済活動が割と得意な人たちが発見し、活かして、もっと広い経済活動のメインストリームに届くようにしたらどうか、という考えです。

私のようなタイプが今まで生きてきて、家族や友人など関係の近い人たちとの間では、自分を理解してもらったり活かしてもらったりということができました。内向性によくみられる現象です。そして、その一歩外に出たときになかなか理解はされないし、理解しようという人にも出会ったことがないし(運や時代背景などが悪かったということもあると思いますが)、私も理解してもらうよう説明・コミュニケーションするのがドへたくそだったので、その、「私←-----------------------------→社会」の間の「----------------」の距離に「通訳者」が必要だったとものすごく感じていました。「私ーー通訳者ーー通訳者ーー通訳者ーー社会」みたいな。そうなんです、通訳者も一人じゃ多分足りなくて、何人か間にかませないと正しい理解がし合えないと思うんです。

上の図で言うと、私も「Quite good at commercializing」に属する似たタイプの方の協力が得られれば、「Quite poor at commercializing」の他者への有効な部分が広い世界へつながっていく可能性があるんじゃないか、一人一人が隣り合った誰かの通訳となればと思うのです。つまりそれは同時に、私が私よりも経済活動が苦手だという方の何かを広い世界につなげる通訳的お手伝いもできるかもしれないということでもあります。

近いタイプの人たちでも、同じ人は一人もいない。ならばグラデーションのように並んで、とりあえず近くにいる人に自分の良さを分かってもらえれるよう通訳し合っていけば、それがその隣の人にも伝わってポジティブな反応が起こるのでは?という感じでしょうか。近いタイプの中で活かし活かされるが実現するような気がします。このような連なり、集団が実現可能かどうかは全く分かりません。でも、私の中では一つの可能性として考慮していることです。

落ちとしては残念なことに、わたしが群れたくない一匹狼派なので、仮に私が上記の連なりを実行しようと人を探したとしても見つかるかは本当にわからないし、群れたくないが勝っちゃうかもしれないし、言うだけ言うけどだからどうするの?になかなか結び付かない尻切れの結論になってしまうということです。

これは学生時代もレポート書いて先生に(ありがたいことに)「前半の分析、まとめは素晴らしいが、後半の論が尻すぼみなのが実に惜しい」と評価されたときと何ら変わっていないという実力のなさを再露呈した感じになってしまいました。

ま、つまり日々模索中ということで、この点に関しても発見や可能性がありましたらまた書いていこうと思います。ちゃんちゃん。


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