第2話『片翼の天使』

 放課後がやってきてみんなと別れると、ひとり校内へ残って指定されていた場所へ向かう。
 手紙に書いてあったのは屋上。まあ定番中の定番だ。
 といっても、ここでいう『屋上』とはここではない。本校舎のソレは弓道部が練習場としてあてがわれているはずだから、他の生徒の立ち入りは原則禁止。


 つまり、唯一扉が常時開かれた旧校舎が今回の指定場所ということになる。あそこならヒトが来る心配もない。
 入学して日も浅いというのにどうしてそんなことを知っているかと言うと、僅か半月で二回も同じような経験をしたからだ。原因は体験入部を片っ端から申し込んでずば抜けた成績を収めたから、らしい。私自身そんなたいそうなことをした覚えはないけど。それで一目置かれてしまったようだ。


 いやまあ、確かに運動はできる。でも突出してなにかが凄いわけじゃない。勉強だって平均より少しうえ。容姿はふつう。部活のおかげで体型を維持できていたから、ちょっぴり細いくらい。交友関係は狭くも広くもない。よく言えばふつう、悪く言えば淡白な人間。


 そんな、あまり取り柄らしい取り柄も持っていない私をどうすれば一目でときめくのか、未だに不思議でならないわけだが、ヒトの好みを否定するつもりはないので、そこは気にしないでおく。


 夕暮れ時、というにはまだ早い放課後のグラウンド。体験入部を終えて本格的に入部を決めた一年生がスポーツウェアに身をくるんで汗を掻く。野球部の変わらない白ユニ背中を眺めて、土煙にわくボールの軌道を仰ぐ。旧校舎の場所はすこし疎い。本校舎から下足に履き替えなければならないのが大きな理由だろう。もともと私立の中高一貫が公立化して高校一本になったここは、そこいらの学校より敷地が広い。


 新校舎から旧までいくには、グラウンドと体育館を横切って、茂みを歩き、ようやく辿り着くことができる。校内に茂みがある学校とか、ふつうありえないでしょ。
 茂みというか林、旧と新の間を隔てるようにしてあるそこはいくつか切り開いてテニスコートや部活で使う宿泊棟? みたいなものを建てている。若干、舗装されているとはいってもそう何度も通りたいとは思わない。これは美術を無くして正解だったなと思わずにはいられない。


 息づきながら辿り着いた校舎は、旧がつくにはまだ早いくらいに新しい。校内は土足――もちろん雨の日を除く――で入れることになっており、階段をそそくさと上がって屋上へ突っ切り、扉に手を掛ける。


 軽く息をはいて、肩を上下すると躊躇なく開ける。四角く切り取られたオレンジの光に溶け込んだ。
 鮮やかな空に地面が黒ずむ。日の光に浴びせられた人影が映る。もじもじと身体をよじる後ろ姿が見える。その瞬間、鼓動が唸った。同じ色の制服――。靡かせた色のリボンは、一年を表す薄い赤。


 金属のすれた音で少女はこちらに振り向いた。ぱっと顔を明るくさせ一呼吸後にはすぐ、しんと静まる。こちらとしてはもう分かりきり、慣れてしまった一動作を、流し目で観る。

「――――それで、話ってなにかな」

 呼吸を吸って、笑顔を取り繕った。酷い顔だ、鏡でみたらどんなだろう。顔の筋肉ってこんなに動くんだ。冷め切った思考で告白者と対峙する。
 今日は女の子だった。手紙を読んでいた限りでは、そんなっ毛はなかったけど。まあ、文体なんて幾らでも誤魔化しが効くか。表情を表に出さず、そんな思考がぐるぐるまわる。


 聴けば中学のとき同じ学校にいたそうな。ちょっと驚いた。そのわりには、彼女についてのことあまりよく知らない。
 初めてみるその子は端的に言ってかわいい。私のタイプだ。ドストライクといってもいい。

「百川さん、二年のころ大会で優勝してたよね。そのとき、たまたま学校に残る必要があって。わたし、あなたが夜遅くまで残って練習してるのを視たの」

 優勝という言葉にピンと来なかったが、些細なことなので流しておく。なるほど、それで密かに恋心を抱いたというわけか。

「ああ、アレはたまたま運が良かっただけだよ。それに私が遅くまで残っていたのは、吹部の友だちを待ってたからであって―――」

「アタシね、子どもの時から男のヒトって駄目なの。普段は全然そんなことないんだけど恋とかそういうのになるとどうしても無理……。それがおかしいのはわかってた。でも好きな人が出来れば、直るからって――そう思ってたのにっ!」

 でも出来なかった。少なくとも男子のなかで、どんなに仲が良くても恋愛関係には至らなかった。
 そして、それを嘲笑うかのように。私という存在を認識したと、彼女は語る。

「ごめん、こんなこといって変だよね。わかってるの…。でもっ、もう自分じゃどうにもならなくて。いてもたってもいられないなくてっ!」

 それでもなんとかして忘れようって。でも高校に上がって、体験入部をしているミドリを見つけてしまった。抑えていた感情が弾けるように、今に至ったんだ。

「自分が自分でわからなくて。どうしようもない……百川さん、あなたが好き」

 言葉にならない感情を必死に拾って。少女は泣き崩れた。

「……」

 私は応えない。応えれるわけがない。だって私も同じだから。このどうしようもない想いに整理がつかないから。同性を好き。それは誰もが誰かを好きになる。そんな単純な話なんかじゃない。

 いま、この手を取ってしまえば。楽になれるかもしれない。共感できる、泣く必要なんてないって、笑い飛ばしてあげたい。

「……」

 でも駄目なんだ。だってそれは普通じゃない。この手を取れば、彼女を受け入れてしまえば。顎が痛い。無意識に奥歯を噛み締めていた。ギチギチと鈍い音が口内に充満し、はち切れそうな感情を寸前で押し詰まり止める。


 動いてもないのに身体中から汗が沸騰して制服をベタつかせる。それが鬱陶しくてたまらない。
 周りの目。怖い、怖い怖い。普通に視られたい。私は普通なんだ。普通がいい。普通じゃなきゃ駄目だ。そのためになら何でもする。

「……ご、めん――」

 粗い呼吸で息を吐いた。無意識のなかで、わたしが去って行く。

「―――――――――――――――――――――――」

 風の音が不気味なほど大きく聞こえる。少女の顔は前髪に隠れてよく見えない。

「………ほかに、好きな人がいるの……?」

 私が逡巡しているなかで、それでも一瞬後。彼女が賢明に繕った。
 もちろんそんな人はいない。叶うことなら、今すぐにでも駆け寄って大丈夫だと慰めたい。私も同じだって、そう――
 でも腹を決めろ。前を見るな。決めたなら、全力で演じろ。

「――――いないよ?」

 仮面被れ。役者は役者。全力で自分を隠し通す。そう頭に言い聞かせ、心をナイフで切り潰した。
 本当の気持ちなんて、誰にも知られなくていい。

「なら、私が女だから――……?」

 反吐が出るほど乾いた声で、目尻が歪む。その目はとても臆病で、たぶん、なけなしの勇気をかき集めたのだろう。

「そうだよ」

 喉が潰れればいいのに。頭の意識と反転、軽やかピエロがほくそ笑む。完璧に計算された口角がつり上がり、彼女に微笑んだ。

「だって、気持ち悪いじゃん」

 満遍の、いっそ清々しいほどの笑みで、無慈悲にナイフを突き立てる。
 直後の少女の表情を、私は一生忘れることができないだろう。


 それからどうしたっけ。私は屋上に残ったままで、少女はもういなくなっていた。すすり泣く声がいまも脳に刻まれたまま。何度もなんども反芻する。
 あの子が去って行くのに振り返りもしなかった。最低、人間のクズだ。胸がひどく疼く。怒りと後悔がどろどろに溶けた鉛で内側から火傷する。


 気持ち悪い、それは私に向けた言葉だった。歯がみする。歯がゆ過ぎてたまらない。
 酷いことを言ってしまった。ざらついたタイルを乱暴に叩いた。ぎゅうっ、制服の胸元を引き千切りそうなほどに皺ができることも厭わず握りしめた。
 ボタンが抜けてブラウスが擦れる。爪が鎖骨を掠めて薄い血が滲んだ。


 唇を噛んで。手のひらに爪をたててやっと。なんとか虚勢を保つ。
 女のこ同士なんて変だ。苦みを永遠に口で咀嚼しながら無理矢理に呑み込でいく。
 どんなことをしたって、私は普通を求める。こんな自分が厭だ。嫌いでたまらない。でもどうすることも出来ない。


 そんなことはわかっている。でもふつうになりたい。普通でありたい。いまの私にはそれしかない。だから、きっとどれだけ心がすさんでも。私はふつうであり続ける。どのくらい、そんな言い訳続けてきたのだろう。


 空はいよいよ赤みを帯びてきて、もうそろそろ帰らないと流石に親に怪しまれる。
 最後だというように盛大にため息を吐いて、ふんっと立ち上がるとスカートの土煙を払って、そのまま来た道と同じ方向を振り返る。
 無機質な鉄扉がぬちゃりと閉まって、茜の光枠だけになった階段を降りる。


 けれどそんな私を引き留めるかのように、不意に足が止まった。屋上のわずかワンフロア下、三階の廊下の奥で奇妙な音がした――気がした。
 気のせいかとも思ったけど、音はどんどん強くなってさすがに感化できなくなった。聴いてみると確かに廊下に反響するようにくぐもった音がする。

「……?」

 音に吊られて視線を移すと、夕暮れに染まるように窓と壁が黒く縁取られた引き戸のひとつから、薄い影が蠢いた。
 たしか、部室棟の三階は物置きだったはず。教室が三つあるはずだが、そのどれにも鍵がかかっている――。内二つは机やら椅子やらが乱雑に置かれていて、そのなかのひとつに美術室がある。音はそこから聞こえた――ように思える。

「――――美術室の幽霊」

 そういえばアイがそんな話をしていたっけ。ランチでのやりとりを思い出しながら、音を聴いてみると、確かに鉛筆の擦れる音にも聞こえるような気もしない。

「まさかね……」

 人知れず乾いた声で笑いながら、決意する。よし帰ろう。今すぐ帰ろう。視なかったことにしよう。あはは、と笑いながら階段を降りようとして、再び足止められる。
 ガタンッッッッ!!!! と何か大きなものが崩れる落下音。それにびくっ!? と肩を跳ね上げて途端に足を引っ込める。半ば震えながら息を押し殺し、音がした方向へ近づく。

 一箇所だけ、スモークの掛かった教室。扉のすぐ上に切れ切れに白く欠けた『美術室』の文字。そこからやはり聞こえる、こつこつとした摩擦の音。
 足音を殺して滑るように前に出る。引き扉は、普段鍵がかかっているはずなのに、触れるとその限りではなかった。取っ手に指を乗せ、意を決して扉を開いた。


 がらりと転がるレール。瞬間、ふわっと空気の層が、光が、私を包んだ。
 風に包まれる。その光景は、なんだかとても幻想的で夢のように思える。
 きれいと、最初にそう思ったのをよく覚えている。
 

 金色の陽線が降り立った天使を抱くように煌々と光り輝いて、カーテンから差し込んだ旋風は、生まれたばかりの雛鳥に連れられる。
 舞い上がった紙片が白い羽根のようにはらはらとみちて、君はそのなかで瞬いた。

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