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1995年の今日を忘れない

1995年1月17日のことは忘れられません。

いつもはもっと遅くまで寝ているのが普通なのに、あの日はなぜか6時前に目が覚めて、しかもいつもはほとんどテレビをつけることはなかったのに、あの日だけたまたまテレビを付けたら、朝の番組の中で、ちょうど地震のニュースが入り始めたところでした。

まだ具体的な被害の報告も入ってきていませんでしたが、放送局からの緊迫した中継と、発表された震度情報、そして都市部での激震であったことから、大変な被害が出ていることが予想されました。私はこの時のニュースではじめて「深度7」という数字をリアルタイムの報道で見ました。

私は大学を卒業してから、大学の先生や先輩がたとともに本の執筆のお手伝いをさせていただいたことがあります。その時に関東大震災の被害状況、特に地震直後の火災の広がりについて調べたことがありました。都市部の地震ということで、関東大震災のような火災被害が真っ先に頭をよぎりました。

私の出身大学の先生、先輩、同期、後輩を含め、多くの地質屋の仲間たちがこの地震の後に現地に入って被害分布や地震の発生メカニズムの解明などのために調査を行っています。

地震の揺れの大きさや揺れ方、建物などへの被害の大きさは、その場所の地質や地震のメカニズムなどによって変わるため、できるだけ早く地震直後の被害状況を記録することが役立ちます。

現地の大学や研究機関は自らも大変な被害の中で調査を開始し、また全国の大学や民間コンサルなども地質専門家を派遣して調査を行っていました。

私は同じ地質屋として何もできない自分に焦りと無力感をしばらく感じていました。

都市部での地震はまたいつか必ず起こります。われわれがこの地震から学んだことを活かせるように、この地震を忘れないように、先輩たちが残してくれたこの地震の記録をときどき顧みたいと思います。

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