見出し画像

昭和から平成、令和へ。何が変わったのか?

昭和と現代を行き来するドラマを見ています。

確かに、昭和と現在、随分変わったなといろいろ気づかされます。

昭和から生きている人は、その変化を日々見てきているので、ひとつひとつの変化に驚きとまどいながらも、少しずつ、受け入れて、慣れて、あるいは諦めて、歩んできたのだと思います。

しかし、もし昭和の人が突然現代に来たら、あるいは現在しか知らない人が昭和に行ったら、さぞかしその違いに驚くことでしょう。

変わらないもの、変われないもの、変わらない人、変われない人、個々にはいろいろあると思いますが、それでも社会はずいぶん変わってきたなと思います。私たちをとりまくさまざまな技術の進歩もありました。人権意識も大きく変わってきたと思います。変化が人間の暮らしにとって「後退」ではなく「進歩」と呼べるものだったら良いのですが。

IT技術の進歩は特に私たちの生活や考え方に大きな影響を与えてきたように感じます。

他の人に言葉を伝える壁が非常に低くなったように感じます。遠くの人にも、不特定多数の人にも一瞬でメッセージを伝えることが出来るIT技術。相手の前に立たなくても、相手の顔を見なくても、相手の声を聞かなくても、さっとメッセージが送れるツール。

相手の気持ちを想像する時間や機会が減ってきたようにも感じます。相手の反応や感情や息遣いを直接五感で感じる機会が減ってきたような気がします。近くにいる人にさえショートメッセージで済ませてしまったり。

人に直接会って話す時のドキドキ感。人の声や表情の変化をとらえながら、言い方を変えたり、攻めにまわったり、受けにまわったり。手紙に書いたり、家の固定電話や公衆電話からやっと電話する前に、何度もシミュレーションしたり、言葉を選んだり。多くの人にとってそんな機会がもっと多かったのではないでしょうか?

コミュニケーションの質が変化してきているような気がします。

マスコミも、足を運んで、人と直接話して、人の声を聞いて、相手の表情や感情を感じながら取材する機会が減ってきているのではないかと思います。

もしかしたら、政治家も、アンケートや、SMSやSNSを頼りにしすぎて、直接市民の顔を見ながら意見を聞く機会が減ったりはしていないでしょうか?

相手の感情を推し量る想像力を鍛える機会や時間が減ってきているような感じがします。もし令和の今が生きにくいと感じるとすれば、コミュニケーションの質の変化が一つの原因ではないかと思ったりしています。誰かに言葉を放り投げたり、相手に言葉を差し向けたりする前に、もう少しだけ相手の気持ちを想像出来たら、相手を自分に置き換えて想像出来たら、もっとやさしさが生まれてきそうな気がします。

結局ツールはツール。それを使う私たち自身の使い方次第なのかもしれません。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?