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母の帰省に相乗り

母の実家は埼玉県行田市にあります。

母の両親はすでに亡くなっていて、母の実家は母の弟、つまり私の叔父が継いでいて、小さい頃にはよく遊びに行っていた行田の家にも、大学生、社会人、そして特に海外赴任になってからは、私自身は母の実家に行く機会はめっきり減ってしまいました。

私の兄から連絡があって、お盆の機会に久しぶりに母と車で行田に行くというので、便乗、相乗りさせてもらうことにしました。

兄の運転で、昔、母親の運転で子供の頃何度も行き来した懐かしい行田への道を通りました。
以前記事にした、見どころポイントなどを懐かしく横目で見ながら、そして、昔と大きく変わった風景や、昔と変わらぬままの風景に、驚いたり懐かしんだりしながらの楽しい移動でした。

行田の母の実家では、叔父夫婦と、帰省していた叔父夫婦の長男 (つまり、私のいとこ) 家族に暖かく出迎えてもらいました。

高校教師であった叔父のもの静かな話し方や、中学教師であった叔母のはきはきした話し方が本当に昔のまま変わらなくて、懐かしくて、心地よくて、子供の頃行田に遊びに来た頃のことを一気に思い出しました。

私が小学生の頃に生まれたいとこは、私が夏休みに遊びに行くと、座布団の上に寝かされていて、かわいくって思わず泣くまでしつこくかまってしまったことや、私が高校生、いとこが小学低学年の頃、私の家に一人で何日か泊まりに来てくれて、そこで一緒にパソコンでゲームをした思い出などなど。

そんな思い出話や、それぞれの今までこと、今のこと、いろいろ話をしているうちにあっという間に楽しい時間は過ぎてしまいました。

わたしには今でもこんなに優しく迎えてくれて話ができる親戚がいて幸せです。

みんなに手を振られながら行田の家を後にして、帰り道、母の通った小学校の前を通りました。

母は、終戦間際、小学校通学中に米軍艦載機の襲来があり、田んぼの中の盛り上がった道の影に身を隠したり、遠足中にも艦載機から身を守るために物陰に隠れたりした経験を話してくれました。

母の通った小学校までの道のりと田んぼのあぜ道を見ながら、艦載機からの銃撃を恐れて田んぼのあぜに身をひそめる幼い母親の姿を思い浮かべていました。


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