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思い出の「距離感」

普通に考えれば古い思い出ほど、あるいは若い頃、子供の頃の思い出ほど距離感を感じるものなのかと思いますが、必ずしもそうではないようです。

子供の頃や学生時代の思い出は、ある程度大人になってしまえば、もうその時点で、ある程度遠い懐かしい思い出になってしまうからなのか、その後あまり思い出としての距離感が変わらなくなってしまうようなところがあるのかもしれません。思い出の距離感の飽和状態とでもいうのでしょうか?

一方で、すごく思い出の距離感を感じる人生のある時期があります。

私の場合、それは入社して社会人になったばかりの頃の思い出です。

今でも会社勤めをしていますが、オフィスの雰囲気も仕事環境も今とはずいぶん違いました。各自の机にPCがなかったり、E-mailがなかったり、オフィスでタバコが吸えたり、夜の街で飲み歩く会社員があふれていたり、携帯電話がなかったりと、今でも同じように会社員を続けているだけに、当時とのギャップの大きさに、かえって思い出の距離感が強調されてしまうのかもしれません。本当にそんなことがあったのだろうかと、ときどき感じることがあります。

人はそれぞれ、いろいろな思い出に対してさまざまな「距離感」を感じているのかもしれません。私の父が今の私の年だった頃、父にとっての戦争の思い出はどのぐらいの距離感だったのだろうと、ふと思ったりします。

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