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日本人と英語について妄想する

本日の日経新聞、「私見卓見」のコーナーで異文化コンサルタントの方が以下のようなことを書かれていました。

日本のビジネスパーソンは完璧を求めるため、完璧でない英語を喋ることを避け、それが日本の国際競争力の低下を招いている。対策として完璧な英語を求めずに不完全ながらも英語でのコミュニケーションを増やすことが有用

上記記事をざっくり要約

特に反対しないですし対策もおかしくはないと思うのですが、日本人が完璧な英語を求めている根底には、言語というツールに対する無理解があってその払拭が出来ないと、不完全な英語を喋ること自体が難しいのではないかと思ったりしました。

特に田舎なんかはそうですが、日本で育つと海外の方と触れ合う機会が少ないです。言い換えると日本人の多くは、周りは全員日本語ネイティブスピーカーという環境で育っています。そういった中で育つことによって、多くの日本人は言語能力=知性という認識を持っているのではないかと思います。この認識はネイティブスピーカーのみの環境であれば、ある一定の合理性はあるのかもしれませんが、そうでない環境においては邪魔な認識に他なりません。

言語能力=知性なんて思っている人いないんじゃない?と思われた方、日本語がたどたどしい飲食店の店員を自分よりも劣った知性を持った人だと認識している人がいるというのは何となく理解できるのではないでしょうか。(残念なことですね。)

言語は情報伝達のための只のツールであり、その人の持つ知性とは関係がないです。アインシュタインが日本語をたどたどしく喋ったからと言って、彼の知性が日本人よりも劣っているわけではないというのは皆さん理解されるところだと思います。同じように英語がたどたどしいからと言って、それは単純に英語話者が使っているツールの運用が上手くないにすぎず、それ以上の何かを表すことがらではありません。

「言語は情報伝達のツールでありそれ自体が知性や品格を規定するものではない」という理解をまず持つことが、日本で育った日本人が不完全な英語を堂々と喋る第一歩になるのではないかと思ったりしました。

#日経COMEMO #NIKKEI

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