「職業:自分」はアーティストなのか?(後編)【PhilosophiArt+】
こんにちは。成瀬 凌圓です。
今回は、パブロ・エルゲラ『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門 アートが社会と深く関わるための10のポイント』(アート&ソサイエティ研究センター SEA研究会 訳、フィルムアート社、2020年)を読んでいきます。
前編では、ソーシャリー(SEA)が何かを学びながら、僕が目指している「職業:自分」について考えていきました。
後編となる今回は、この本の中で、自分が大学で学んでいる内容とつながりが強いと感じた部分を読みながら、考えたことを書いていこうと思います。
前編の記事もよかったら読んでみてください。
この記事は月に2回投稿する「PhilosophiArt+」の記事になります。毎週月・木曜日で投稿している「PhilosophiArt」は、哲学とアートのつながりを哲学の方向から探していこうという記事にあります。「PhilosophiArt+」はその反対側、アートから哲学とのつながりを見つけることを目指しています。
哲学書以外から、哲学とアートのつながりを探すのが「PhilosophiArt+」となります。
博物館での「アートによる教育」
僕は大学で哲学を学んでいます。
自分の学びをアウトプットする場として、noteでの発信を行っています。
哲学とアートのつながりについて考えている理由の1つに「学芸員資格の取得」があります。
昔から博物館や美術館に行くことが好きだったから、という理由だけで、大学に入ってすぐに、資格を取ろうと決めました。
資格を取るには、博物館についての授業を履修し、大学を卒業することが条件です。さまざまな授業の中で必ず「博物館は、資料を使って教育をする場所」と言われます。
訪れる人が持つ学びに対して、博物館はどう活動すれば学びが広がるのか。専門的職員である学芸員は、常にそれを考え続ける職業だと思っています。
今回の本の著者、パブロ・エルゲラ氏は、2007年からニューヨーク現代美術館(通称:MoMA)の美術課で、アダルト&アカデミックプログラムのディレクターを務めています。
アートによる教育にはどんなものがあるのか。
そこにはどんな考え方が存在しているのか。
パブロ氏が提案した「超教育学(Transpedagogy)」という言葉から読み解いていきます。
「超教育学」はアートと教育の違いから生まれた
「超教育学」はパブロ氏が2006年に提案した言葉です。
ソーシャリー・エンゲイジド・アートが増えていく中で、これまでの伝統的な芸術教育とは違った教育について、パブロ氏が考えを述べるために作り出した言葉が「超教育学」です。
では、芸術教育と超教育学はどう違うのか。
明確な違いとしては下の2点が挙げられていました。
「明快な説明」が行われる、と書いてあるように、芸術教育では「何が教えられ、何が学ばれ、どう行われるか」がはっきりとしています。
一方で、キュレーターやアーティストによる、芸術としての教育プロジェクトはあいまいです。
教育学という言葉を使うのに、教育分野から突っ込まれると嫌な顔をする。
なんだかひねくれているなぁ…というのが、僕の正直な感想です。
芸術教育が明確なものを示すように、超教育学的なプロジェクトも学校やワークショップで行うのなら、明快な説明ができなければならない、とパブロ氏は言っています。
アートは「拡張された場における教育学」へ
意味のあいまいさを持つコンテンポラリー・アートですが、学校やワークショップという場に持ち込まれるなど、近年では教育に魅了されている傾向にあります。
パブロ氏はこのことを「拡張された場における教育学(pedagogy in the expanded field)」と捉えています。
技術指導や鑑識眼、解釈などといった伝統的な教育学から拡張されたことで、次の3つのことが言えます。
共同で芸術作品をつくることで、知識も共につくられ、その知識は世界を理解するための道具となる。パブロ氏はそう考えています。
博物館という教育の場も、資料を鑑賞することが学びのきっかけになるようにする必要があります。
「芸術の知識は、世界を理解するための道具」という言葉は、僕の今までの学びともつながるポイントでした。
アメリカに「The Center for Land Use Interpretation」(以下、CLUI)という、芸術の様式やプロセスを教育的な手段として活用する組織があります。
「人工的な景観は文化的な証であり、自分たちが何者なのか、何をしてきたのかがよく読み取れる」という考えのもと活動しています。
CLUIの展示スペースで現在鑑賞できるのが、下の写真のTULARE(トゥレーア)に関する内容です。
上の写真はトゥレーア湖の水が満たされている状態でしょうか。
湖に水がなくなってしまったことで作られた人工的な景観が、世界を理解するための道具として機能しています。それまでの歴史について調べたり、周辺の地形と湖の関係を調べたりすることで、知識が構築されていきます。
このように、歴史や地理などの分野を行ったり来たりしながら、知識を構築していくことが行われていくと、分野の境界線はあいまいになっていきます。
これこそ、芸術にしかできない教育の再構造なのです。
革新のヒントは過去にはない
この「Ⅸ Transpedagogy|超教育学の視点」という章のなかで印象に残った言葉があります。
新しいものは、今の時代に受け入れられる必要があると思います。
過去を見るのではなく、今を見なければ受け入れられるかどうかを判断することはできません。過去を参考にしながらも、今を見つめる力を養っていくことが重要だなあ、と感じました。
自分をアウトプットしていく「職業:自分」も、いまの身の回りの環境や自分自身の興味関心が軸になります。
時間と共に変化していく自分を、これからも常に発信し続けていきたいと思います。
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