「社会を良くしようと頑張るよりも、賢く立ち回って儲けて良い人生を送ろう」

ちょっと調べもののために書店で投資本をチェックしていたが ある本の中に

「格差社会に憤るよりも 賢い投資して資本家側に回ろう」

ってフレーズが出てくる 別の投資本でも似たようなフレーズを見たことがある ようするに

「社会を良くしようと頑張るよりも、賢く立ち回って儲けて良い人生を送ろう」 

というテーゼ

しかしこれは かなり矛盾しているのではないか 以前も別のところで書いたが 列車に乗っていて少しずつ前の車両に歩いてゆくとして 列車そのものがブレーキをかけたとき 頑張って前に走ってもたかが知れている まるで映画「スノーピアサー」の世界のように

つまり ほどほどの格差社会ならば投資も活きるが いまの日本のように社会全体にブレーキがかかっている状況になってしまうと いくら儲けても自分の周りがボロボロ崩れてゆくことになる

そこで海外投資に成功して「永久の旅人(パーペチュアル・トラベラー)」になる? ほとんどの人に夢物語であることをおいて たとえ投資でそのコストをまかなうことができ 外国を渡り歩くだけの能力があったとしても そのような生き方をするためにずいぶん時間と体力というコストを割かなければならない ほかにやりたいことはできない 永久の旅人ではなく さまよえるユダヤ人的な呪いになりかねない

要するに投資が効率的であるのは社会経済の安定に負っている部分が大きい 換言すれば 自分が住んでいる社会の不安定さというのは投資面でのリスクになりうる 前述のテーゼは社会や政治が投資のリスクにならない範囲では成立するけど、その範囲を超えると瓦解してしまう

映画「大番」は昭和初期に地方出身の貧農から叩き上げで成り上がった株屋ギューちゃんが主人公である 戦争前に鐘紡株に投資して大儲けをしたギューちゃんは 統制経済移行ですってんてんになってしまう どれだけ株のカンがするどくエネルギッシュであっても政治の流れでちゃぶ台を返されてしまう ギューちゃんはそこでへこたれずに毎回ゼロからやり直すエネルギーがあり 成金であるがそういう意味で魅力的な主人公になっている

さて現在 そんな極端なことは起こらないという保証はあるか 起こっても自分は逃げ切れるというならばよいが それほど儲けている人がどれくらいいるのか 投資家の中にも格差があるだろう

投資をしている人間も社会という生態系の中で生きているはずなのだが その点を無視して本能的に動くのが投資のマナーということなのか

ともかく 自分はそのマナーにのっとってみることにした てはじめに書店でその投資本を買うことは止め 立ち読みをして必要な部分をざっと記憶して利用することにした 道義を重んじて筆者に敬意を表してカネを払うよりも 賢く立ち回って有益な情報を手に入れることにしたのである (その分のカネは高見順「いやな感じ」共和国 の購入にあてた) 投資とはかくのごとく まことにシビアなものなのだ