いったい何を恐れているんだという話
世の中には、「やりたい仕事」に就いている人がどれだけいるだろうか。
小さい頃からの夢だった職業に就けた人や、人生を賭けるような仕事に就いている人は、ほんの一握りだ。
また、最初はやりたい仕事ではなかったとしても、働いているうちに興味が出てきたり、会社に愛着がわいてきたりして、
と、思える場合もあるかもしれないが、これもそう多くはないのではないか。
世間の大人の多くは、
「生活のため」と割り切って、そんなに思い入れのない仕事をしている
という人たちであると思う。
限りある時間のうち、だいたい週5日8時間(+通勤時間+残業や休日出勤の時間)を犠牲にして、その分プライベートに全振りする。
そんな人生を選択した人たちである。
自分が採用されそうな範囲内で、収入とか福利厚生とか通いやすさとか向き不向きとか、色々なことを考慮した結果、今の仕事をしているわけだ。
仕事を通じた自己実現は求めておらず、あくまでお金を得るための手段として労働をしている。
いわば、妥協である。
妥協、というと聞こえが良くないが、別に悪いことではない。
企業側だって、本当は頭脳明晰、容姿端麗、コミュ力抜群みたいな人材が欲しいのだろうが、応募してきた人材の中から、色々なことを勘案して採用を決める。
もし辞退されたとしたら、次点の候補者を採用する。
これだって、言ってみれば妥協である。
妥協で採用された人材が、妥協して入社した企業で就業規則に従って働き、給与をもらう。
そして、それ以外の時間は自分の過ごしたいように過ごす。
それでいいのである。
しかし、その割にはプライベートの時間に仕事のことで思い悩んでいる人が多いように思える。
「仕事こそ人生の中心」という人が、プライベートの時間も仕事のことを考えるのは自然なことだろう。
でも、プライベートに全振りしたはずの人が、そのプライベートの時間に、割り切ってやっているだけの仕事のことで悩んでしまうなんて、本末転倒だと思うのだ。
おしゃれを犠牲にして機能性に特化したダサい靴を買ったのに、結局慢性的に靴擦れをしている、みたいなもんだ。
これは、多くの人が次の3つを過剰に恐れているからだと思う。
嫌われること
怒られること
「できないやつ」と思われること
である。
これらを恐れるがあまり、人々は自主的に残業や休日出勤をしたり、プライベートの時間も仕事のことを考えたりして、自主的に疲弊していく。
でも、よく考えてみてほしい。
やりたくもない仕事を、妥協してやっているのでる。
そりゃ、そこでの人間関係も評価も、それなりのレベルに落ち着くのが自然なのだ。
これは結構、難易度が高いのではないだろうか。
もちろん、生き物の本能として、コミュニティ内で軽んじられることに恐怖を感じるのはわかる。
でも、人間が他の生き物と違うところは、本能を知性でいなすことができる点だ。
その恐怖についてさらに深く考えてみると、気付くのである。
職場で嫌われても、怒られても、できないやつと思われても、別になんてことはない
ということに。
我々は、世界にいる80億人の中の、たった数十人からの評価を維持するために、身を削りすぎなのだ。
よく聞くのが、
「本当は定時で帰りたいのに、帰ったあとに残ったメンバーから悪口を言われるのが嫌だから残業をする」という話だ。
全振りしたはずのプライベートの時間を犠牲にして、である。
たしかに、残業をすれば、その場では悪口を言われないかもしれない。
でも、悪口を言う人というのは、あらゆる場面、あらゆる理由で悪口をいう。
結局、他の場面でしっかりと悪口を言われることになるのだ。
我慢して必要のない残業をしたところで、
ほんのちょっと、悪口を言われるまでの期間が延びているだけ
なのである。
また、休みの日に
と心配になってしまい、1日中モヤモヤして休まらない、という話もよく聞く。
そのモヤモヤの中身を見てみると、やっぱり
という気持ちが大半を占めていることが多い。
でも、仮にミスをしていたとしても、それはもうどうしようもない。
夜通しお祈りをしようが、開き直ってバーベキューに行こうが、「月曜日になったらできることをやる」以外に選択肢はない。
大前提として、怒られること、ダメなやつだと思われることを受け入れればよいだけなのだ。
生活のために属しているだけの組織で評価が下がったところで、何になるのか。
妥協して属している組織の上司に怒られて
といいながら、妥協して属している組織の同僚や後輩に
と思わせておけばお金がもらえるボーナスタイムなのだ。
そんなことよりも、
プライベートの時間が「心のモヤモヤ」で潰されること
を、もっと深刻に考えた方がいい。
これは、家にいながらサービス残業をしているようなもんなのだ。
セルフサービス残業・セルフサービス休日出勤という、この世で最も愚かな行為
である。
とはいえ、考えてしまうこと自体は仕方がない。
と思っている時点で、考えてしまっているわけだ。
これに対処する方法は、
「思考の癖をつけること」
に尽きる。
方法は極めて単純で、
と自覚した瞬間に、他のことを考えるようにするだけだ。
かわいい動物のことでも、おいしい食べ物のことでも、好きな芸能人のことでも、何でもいい。
別のことを考えて、上書きするのである。
そうは言っても、また数分後には仕事のことを考えてしまうだろうが、それでも構わない。
繰り返し、
と自覚した段階で、他のことを考えるのだ。
まあ、最初のうちは、結局ずっと仕事のことが頭から離れずに1日が終わるだろう。
ただ、ここで止めてはいけない。
不思議なもので、これを何週間か続けていると、あまり仕事のことを考えなくなってくる。
もしくは、考えることはあっても、
と切り替えられるようになるのだ。
おそらく、いつも仕事のことを考えてしまう人は、脳に「仕事のことを考える癖」がついてしまっているのだ。
野球選手が繰り返し素振りをしてスイングを体にしみ込ませるように、脳に「仕事のことは考えない癖」や「楽観的に考える癖」をつけるのである。
また、結局一番効果的なのは、
「就業時間内は一生懸命働く」
ということだ。
妥協、妥協と言っているが、別にそれは「適当に働く」という意味ではない。
というスタンスでいるということだ。
仕事の時間に一生懸命働いている、という事実があれば、誰も文句を言うことはできない。
結果的に心配のタネも減るし、仮に何かしらミスしてしまったとしても、一生懸命やった結果なのだから、それはもうやむを得ないのだ。
人々は、「周囲の人からの評価」という、そんなに重要ではないものと引き換えに、もっと重要なものを失いすぎではないだろうか。
恐れているものは、実はそんなに大きなものではない。
仕事のことは、仕事の時間に考えればいい。
さあ、うまいもんを食って、遊びにいくなり寝るなりして、全振りしたプライベートの時間を謳歌するのだ。
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