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罪深いメモ

久しぶりに気が向いたのでオンラインカウンセリング。今日の人、すごく良かった。最近パートナーに日記を見られたり、仕事を辞めろと言われたり、別れ話をしたりしいてだいぶプライベートがガタついている。状況を整理したら、極論、やっぱ別れよ、となった。

精神的にも、物理的にも、人に依存する環境というものは、耐えられなくなる日が必ず来る。それは少しずつ自分が削られていくような感覚に似ている。フランスの哲学者C・マランが引用していたオウディウスの文章に、わたしは厭にも共感してしまう。

何故私を、私自身から引き剥がすのですか。

他者のまなざしやふるまいが、私たちの皮膚を、表皮を、現実的にも象徴的にも私たちを保護し包摂し、私たち自身の存在の境界を描き出しているものを侵す時、剥ぎ取られているのは、まさに自己なのである。

オウディウス『変身物語』


他人の眼差しは、他人の保護は、恐ろしいものだ。何故、そんなにわたしのやりたいことを阻害するの、といつも思う。その保護や心配は不思議と自己を少しずつ蝕む。どうにか自分でいたくって、わたしは逃げ出す。親から、故郷から、恋人から。

わたしに、誰かと一緒に生きる意味なんてあるのか。これがなんと、分からないのである。多分、無いんだと思う。エゴの埋め合わせのような気さえしてくる。過去に一緒にいた人の時間を奪った罪だけが渦巻く。

カウンセラーさんから、パワーがあるね、と、パワフルだね、と言われた。自分ではあまりそう思ったことがないが、うーん、そうなのかもしれない、と今日妙に納得した。
ハマると、とことん。環境を新しくすることに、つまり" 挑戦" をすることにも、" 逃げる" ことにも抵抗がない。興味があればとことん勉強するし、思いつきで動く。感情や思いに強い力がある分、学生の頃は自殺未遂やリストカットにも簡単に突っ走ったし、ピアスやタトゥーもどんどん増やした。子供の頃は、発達障害と言われていたし、今だって双極性障害と言われて服用している。
わたしは自分が思っている以上に、パワーのある人間、なのかもしれない。こうして書いていてまた妙に納得する。

日本には帰りたいと思えない。また逃げるなら、奨学金組んで看護学校に入り、就学ビザを取ろうかなと考えていろいろ調べてみる。ここまで考えている時点で、逃げることはほとんど確定しているようなものである。何か、スパッと決断したあと、わたしの行動が現実にならなかったことは今のところない。

【余談】
ところで、フォロワーさんの記事を読んではじめて、今日がホワイトデーだったことに気がついた。
トップの写真は海岸沿いで見かけた、分かりそうで、解らない文章。いや、理解らなそうで、少し解るかも……。うーん。

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