もはや人間でさえない【No Longer Human 「人間失格」漫画版(伊藤潤二)English Edition書評】


太宰治の「人間失格」を漫画で読んだ。

伊藤潤二の表現力がもう才能の塊すぎて言葉が出ない。


No Longer Humanって訳はニュアンス違っちゃってる気もするがそれは置いておいて…


太宰の原作にはないいくつかのエピソードとオリジナルの結末。
それでもストーリーの軸と、" 人間の弱さを徹底的に追求する" という作品のコアは十分に保たれ、漫画でしか感じられない、目に見える" 悲惨さ" と" 狂気" が並外れた画力で描かれる。

すごいよ、太宰はもちろん、伊藤潤二がこんなに並外れた作家だったとは。
こんな作品他に読んだことない。


脅威の612pイッキ読み


大庭葉蔵は過去から逃れるために生きている。
自己破壊は" 死ねる" という実感を味わう至高のルートだ。それは同時に、" 生きている" ことを意味するのだが。


分かる、分かるよ。まるで自分を見ているよう。

過去とケリをつけるといった発想は賢明ではありません。過去に実体はありませんから、絶対に勝てません。

春日武彦

そうなんですよ、だから苦しい。
だけどどうすれば良い?


此の世は所詮地獄


間違いないのは、それが人生ということくらい。

ニーチェも澁澤龍彦も芥川もゴーリキーもシチェドリンもみんな似たようなことを書いていて、

孤高の作家はみんな自殺する。


誰かが、" 生きるために死んだ人がつくった歌を聴いている" みたいなこと謳ってたなあ、誰だっけ。どこかで読んだ。



太宰の海外評価は奮っていない。(国によると思いますが)
小説も漫画も共に一社ずつの英訳のみ且つ
「何が言いたいかわからない」「鬱のトリガーになり得る作品」「とにかく読むのがハード」と酷評である。
邦作品によく見られる" 儚さ" と海外文学の" 悲劇" との間にはやはり溝があるらしい。

伊藤潤二の「人間失格」が英訳されたのも、海外で" 伊藤潤二" が大人気だから、という単純な理由のように思う。


今週は調子が悪かった。
火曜日に仕事を休んでからそのまま気持ちは奮わず、出勤するも考え事が止められず。
頭を整理したくて紙に書き出したら、今度はじゃあこれを「言う?」「言わない?」で頭がいっぱい、モヤモヤの無限ループ。
人生について行くだけの精神力がいつも足りなくて、馬鹿な行動をしている。

考え始めたらきりがない過去の失敗の数々。
生き続けるのは疲れたけど、" 死ぬ" ほどの労力はないから死にたくはないなーというぼんやりした考えがいつも頭の片隅にある。


死ぬには相当の力が要るのだ。
大庭葉蔵はわたしと紙一重。



【追記】
日本では古屋兎丸という方も「人間失格」を漫画化されているようです。

20世紀の漫画家では伊藤潤二と楳図かずおが英語圏で人気。




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