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交換日記とプールと、恋のはなし。

交換日記もプールも、わたしにとってはどちらも追憶の彼方にある言葉だ。

交換日記は小学生の頃に女の子同士でやったし、プールも小学校の授業で習った印象が強い。少し前に流行ったナイトプールだインスタ映えだなんて、いっそ縁がない。

プールに関して言えば、残念ながらいまいち相性が良くなかった。浮くことはできても息継ぎが絶望的に下手だったわたしは、息を止めていられる15メートルを泳ぎきるのがせいぜいで、どう頑張っても25メートルには手が届かない。

数人が一列に並び、ヨーイドンで泳ぎだしたのに、自分だけちょうどプールの真ん中で足がついてしまうあのやるせなさといったら、なかった。

けれども、なぜだかわたしはプールが好きだった。あの、夏の間だけ許される『期間限定』感は、どうしたって心を浮き立たせたものだ。少しだけ特別な非日常に、高揚したのかもしれない。プールの授業はいつも楽しみだったし、中止になれば、がっくりと肩を落としたものだ。

さて、交換日記はどうだろうかと言えば、あれも大好きだった。それはそうだろう。子どもの頃から文章を書くのが好きで、それが高じて今、こうして物書きをやっているのだから。

それに加えて、わたしは手紙が好きだった。口下手で、想いを喋りで伝えるのが不得手だった代わりに、文字にすればいくらでも饒舌になれたから。普段は言えない気持ちを文字に乗せ、それを友達と見せ合いっこする。こんなに楽しい遊びがあるのかと、心が震えたものだった。

けれど、交換日記の終わりはいつも突然で、残酷だ。いつの間にか誰かが自分のところで止めてしまい、そのまま日記の存在は忘れ去られて行く――というのが常だった。

あるときは「交換日記、まだ?」と催促をしてみたりもした。するとその子は「そうだよね、ごめんごめん」と苦笑いを浮かべて、何度かは書いて持ってくる。けれどもまた止めて、だんだんと催促することもなくなって、やがて誰も交換日記のことは口にしなくなるのだ。

まるで恋の終わりみたいにゆるやかに、でも確実に、みんなの意識から交換日記の存在が薄れていき、そして消える。

わたしは、いつもそれが寂しかった。想いを語る術を奪われたうえに、綴ることがあたかも面白くないことだとレッテルを貼られたような、そんな物悲しさを感じずにはいられなかった。

プールも交換日記も、わたしにとってはどちらも片思いの対象だった。好きで焦がれて、それでもカチッとハマることなく流れていった。そんなほろ苦い思い出とともに、記憶の片隅に居座る片思いの相手。ーーさながら、そんな。

だからこそ時が巡り、今こうして交換日記みたいなことができて、本当に嬉しい。しこりのように残っていた片思いの欠片がようやく溶け消えていくような、そんな気持ちがしている。

ただ非常に残念なことに、プールとは出産を機に、ますます疎遠になってしまった。今もクローゼットの奥底には、もはや過去の遺物と成り果てたピンク色のビキニが眠っている。

二度と着ることはないのに、なんとなく手放せずにいたビキニ。これと決別したときこそ、やっとプールとわたしの新たな関係が始まるような、そんな予感がしている。


今回のお題【プール】【交換日記】

#ライター #書くこと #脳トレマガジン #エッセイ


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