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2回忘れたトラウマ(心の傷)

2回忘れた大きなトラウマ(心の傷)があった。

22年前の2001年、同僚に勧められてヒプノセラピー(催眠療法)を興味がてらに受けたことがあった。

「今のあなたに悪影響を及ぼしている場所と時間に戻ってください」
トランス化で、そう言われた。

なんと、そのあとすぐに、言葉にできない衝撃に襲われた。本当に、言葉にならなかった。・・・というのは、それは言葉を理解する前、胎児の状態の「原」体験、みたいなものだったから。

意識だけがぼんやりしていて、視野の中に両親がいた。
「次は、絶対に男の子じゃないといけない。」
「絶対だ・・・。」
そう話していた。

強烈な感情に襲われた。
「ごめん、男の子じゃない、私。」
言葉にならない、まさに「原」体験。胎児の私。
ごめん。私じゃダメだ。
この人たち、ものすごくがっかりする。
私のせいだ。どうしよう!
パニックと強烈な自責の感情だった。

私は、泣き出してしまった。
セラピストは、そこでセッションを終えた。

「何があったのですか、説明してください。」・・・と言われ、説明したところまで憶えている。何と言っても、20年以上も前の話。

このような、特殊な体験をしたにもかかわらず、私はその後何もしなかった。ありきたりだが、単に幻想だったのかもしれない、と。

21年後、去年、はじめてこの件について現在のセラピストと話した。自分でも信じられないのだが、本当に忘れてしまっていた。何度か、父親の話をした後で、このエピソードを憶い出した。しかし、ちょっとセラピストと話した後、またすぐに忘れてしまった。

そして、先週、いきなりのごとく、またこれを憶いだした。

「どうして、こんな強烈な経験を、なんども忘れてしまうのだろう。」と、やっと認識するに至った。私たちは歪んでいる。このようにスピリチュアルともいえる特殊経験を、もし、有名人のコラムで読んだり、テレビで観たりしたとしたら、かなり印象に残るのではないだろうか。自分自身の経験だと、逆に信憑性がない。

結論が出せず、「あれ、一体、なんだったんだろう」という感じ。

「あまりにも根本的すぎて、対応ができなかったからじゃないですか。」
やっと、定期的セラピーを受けるようになり、このような声を聞けるようになった。

確かに、22年前にはセラピーを受ける余裕や時間が全くなかった。その上、興味もなし。

もともと、このヒプノセラピーを勧めてくれた同僚の話はこうだった。彼女は、タバコがやめられなくてそのセラピストに助けを求めたのだった。

「その結果、若い頃の不倫経験のせいで、未だ自分自身を許せなかったことがわかった。そのせいで、健康に悪いタバコがやめられなかった。」

その後、彼女は禁煙に見事に成功した。

この納得のいく具体例を聞いて、そのセラピストの元に行った。その当時、何を一体解決したかったのかはまったく憶いだせない。

でも、このような「ややこしい」ビジョンを認識してしまったせいか、自分が具体的に解決したかったことを、うまく処理できなかったことだけは憶えている。「ヒプノセラピー、私は失敗!」と同僚に話した記憶がぼんやりとある。同僚は、ちゃんと解決できたのに、私はできなかった、と。

あれから22年も経ってから、やっと信用のできるセラピストと一緒にこの経験を直視する機会が与えられた。

「どうしようもないんですよね。ただ、女の子として存在するだけで、ものすごく大きな罪悪感、自責の感情があった。本当に根本的すぎて、手も足も出ない。何もできない。」

実のところ、子供時代はいつもこの自責の感情に打ちのめされていた感がある。

やっと、セラピストから手がかりになる言葉をもらえた。

それをシェアさせていただく。

「そのような特殊経験があってもなくても、子供というのは常に自分を責めるようにできているものですよ。」

「両親が苦しんでいたりすると、小さな子供は、自動的にいつも自分のせいだと思う。リハビリが必要なのは、あなただけじゃない。皆、そう。」

そして、荷を運んでいる船の絵を描くように勧められた。私は大きなコンテイナーを描いた。

「この船に、自分が運びたいものだけ、イメージしてください。容認、許し、・・・など、なんでもいい。」

「両親の苦しみはあなたの荷ではない。送り返すか、オフロードしてください。どこかの港へ。もう、あなたの船にあるべきものではない。」

「あなたへの両親からの理不尽な期待も、あなたのものじゃない。それらの荷に、両親の住所を書いて、どこかの港から送り返そう。」

私のイメージした荷は大きく、重く、古臭い匂いのするものだった。

では、この辺で。

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