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祈り~人々が通る道を照らすもの

前回、カラダの傷とセルフラブの関係について書いた。

それで思い出したのは、娘がティーンエージャーのころ。

彼女は、よく自分のカラダを傷つけていた。
私が 自分の足を掻きむしるどころではない。
剃刀で、手足を傷つけていた。

当時、私は、彼女から生きる気力を感じられなくて、彼女ははたちを過ぎても生きていてくれるのだろうか、と思っていた。

ある夜、思いもかけず、深く切ってしまった手首を、片方の腕で抱えて、部屋から出てきた。すぐに救急病院へ行った。

その後、病院から紹介された、子供と、ティーンのための小さな心療内科へ行ったけれど、その病院の空気があまりにも重くて、そこにいるだけで病は深くなると感じた。

暗い色のカーペット、窓が小さくて、日が射さない、しめっぽさを感じさせる待合室。そこに積み上げられていた、おもちゃや、クレヨンや、絵本が、白々しく思えたのは、私の心もまた、拠りどころがなかったせいだったのだろうか。

けれど、毎日のように、子供たちがそこを訪れ、その子供たちの病が、さらに、その場所のエネルギーを重くするのに加担しているのは間違いなかった。
そこに通い続けて、良くなる見通しが、私にはイメージできなかった。

私はすぐに、娘の病院を変えた。もっと大きくて、風通しの良いところに。
けれど、いつまでたっても、彼女の病は、彼女にとって他人事だった。真剣に向き合う様子も、気力もなかった。

そんなある日、
いつもは穏やかな態度の夫が、彼女に、ついに喝を入れた。
娘と口論して、私が激しく泣いていた部屋に、夫が入って来て、
これ以上、おまえの母親を泣かせると許さない、と。

それから徐々にだったけれど、彼女は変わっていった。自分で予約を入れて、カウンセラーに再び通うようになった。

それからは、どんどん変わっていった。
彼女は逞しくなり、心の声をよく聞き、自分を大切にして生き始めた。

たくさんのチャレンジと、旅、出会い、そして、日常の小さなことを通して、自分を愛することを学び、人生を楽しんでいる現在の彼女を見ると、あの頃のことさえも、愛おしく思う。

さなぎだった、あの頃の彼女は、
蝶になるための、必要なプロセスだったんだね。

先日、会った時に彼女が言った。

「あの頃、母は本当に強かったよ、信じられないくらいに。」

10数年も前の、その出来事を持ち出したことは、これまでほとんどなくて、娘がそんなふうに思っていたとは知らなかった。

私の記憶では、私は、めそめそしていたように思う。
当時、久しぶりに訪ねてきてくれた友人が、何も言わないうちから、私を見て「すごく不幸そうだ」、と見破ったくらいだったから。

けれど、私は、娘の前では、全身全霊で、彼女を脅かすものに対して、立ち向かっていたのだと思う。

あの頃の私、ほんとにエラかったね、

抱きしめてあげたい。

そして、あの頃の娘のことも、同じように・・・。

大丈夫だよ、
諦めないで。
かならず今とは違う、思いがけないほど明るい未来が待っているよ。

どんなものにも、出口があるのだから。
すべては、移り変わっていくのだから。

ぜったいに、
ぜったいに、
諦めないで。

今も、存在する、子供たちのための、あの心療内科。

あの待合室と、そこに通う子供たちに、明るい未来への息吹が、届きますように。

心が和らぎますように。



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