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パラレルワールドの現れる場所

それは数年前のことだった。

目鼻立ちの整った、女優にでもなれそうな美しい彼女が、鬼のような表情で、私をののしり、店を出て行った。

理由はこうだ。

店のダイニングで働くスーパーバイザーが辞めることになった。次にそのポジションに着くのは、当然、勤務歴の長い彼女だと、本人は考えていたんだろう。

けれど、私が選んだのは、彼女ではない他の人だった。

彼女は、一人のサーバーとしては、そつなく自分の仕事をこなしていたけれど、まとめ役になるには器ではないと私は感じていた。それまでにも、彼女を一歩上に進めるよう、指導してきたけれど、人には向き不向きがあるのだと、そう思った。

他の人を選んだ私に、彼女は怒りをあらわにして出て行ったのだった。
私は、その怒りの激しさをもろに受けてしまい、少しの間、彼女のあの恐ろしい形相を思い出してぞっとした。

しばらくして、同じ町の、あるレストランで働き始めたと聞いたときには、これから先、私はそこで食事をすることもないだろうと諦めた。

けれど、もう彼女と私は、接点はないのだとさっぱりした気持ちになるのにも時間はかからなかった。

そしてそれっきり、私は彼女のことも、あの突然大きなガラスが割れたような衝撃の場面も、すっかり忘れていた。



そして、数日前。

私のお店の、テイクアウトの窓口に彼女が立っているのを見かけたのだ。


少しぽっちゃりした彼女は、すっぴんでも相変わらず美しく、私は思わず彼女に近づいた。私、というより、私のカラダが自然に彼女の方に寄り添った。

彼女のほうでも、私に向けて花のような笑顔を見せた。

お互いの近況を話したあとで、彼女は、またここで働けたら、と言った。

実際、今は人が足りていて求人はしていないのよ、と私は返したけれど、彼女は、自分の電話番号を紙に書いて置いていった。

彼女の手書きの文字には、見覚えがあった。

この番号に、電話することがあるのかどうか、分からないけれど、穏やかで懐かしい気持ちになった。

私たちはハグをして、彼女はテイクアウトのおスシが入った紙袋を下げて帰っていった。


何が起こっているのだろう?

彼女の後姿を見て、そう思わずにはいられなかった。

いや、何も起こってはなかったのかもしれない。

記憶に頼れば、私たちの間を閃光が、鋭い刀のように引き裂いたはずだった。

けれど、彼女との再会には、まるで私たちがパラレルワールドにひょいと移ったかのように、あまりにも自然で、温かい瞬間しか存在していなかったのだ。
ずっとこんなふうに、お互いが笑顔のまま、相手を感じていたかのように。

そこにあったのは、何の思惑も、私たちの間を遮る岩もない、透明な流れだった。

あまりにも透明すぎて、私は自分の立つ場所を失ってしまったかのようだった。

エゴは、過ぎ去った日のことを思い返して、こんな顛末になることに戸惑いを隠せない。自分の立つ場所を保つには、彼女とあんな笑顔を交わすべきではなかったとでも言うように?

けれど、自分の立つ場所なんて取っ払ってしまったら、人生とはなんて軽やかに、悪びれることなしに次々と姿を変えるものだろうと、笑ってしまう。

留まることを知らない流れのように、変化は続く。動き続ける。

頭の中の思考や記憶だけが、それについていけない。

パラレルワールドは、時間軸を超えればいつもここに現れる。

つかむものはなく、つかめるものもなかったと知って。


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