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現場を探す師走

「俺は現場主義だから」が口ぐせの上司がいる。
12月に入り、転職後で一番忙しい日々を過ごしているが、自称現場主義の上司にはあまりそれが伝わっていないのか、冷静に考えてもやや的はずれな指示ばかりを僕に出してくる。
「現場主義」が「常に現場で仕事をする」ことを意味するのであれば、多分僕と上司の間には「現場」という言葉の解釈に差がある気がしていた。

「現場」と聞いて思い出すのは『踊る大捜査線 THE MOVIE』での青島のセリフだ。
「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きてるんだ。」

対象が事件なら話は早く、現場とは事件現場、事件の起きた「場所」を指す。
また、会議室と事件現場と言う対比が分かりやすかったため、青島のセリフで得られる教訓を「何事も、それが起きている「場所」に身をおくべし」と受け取った人は多かったのではないか。

では対象が仕事の場合はどうだろう。

きっと多くの場合、仕事における現場とは、経営層や上層部との対義語として、言い換えれば「階層の下の方」という「場所」として語られていると思う。

確かに僕の上司は、若手だけの打ち合わせにはよく顔を出す。仕事における現場が本当に「階層の下の方」であるならば、「常に現場で仕事をする」という点で、上司は現場主義なのかもしれない。
ただ、プロジェクトが前進するのはいつも彼が会議室から出て行った後だったりする。
残った「階層の下の方」のメンバー間の議論で、課題の本質をつかめるケースが多い。上司がいる現場では、事件が起きていないと言える。

そんな矛盾を前にする中で気付いた。
仕事における現場とは場所ではない。視点だ。

その仕事によって喜ばせたい人たちの表情、その仕事を通して目指すべき未来の自分、その仕事の先で会いたい人たちの存在。
そんな「仕事の本質」を見つめ続ける視点こそが「現場」だ。
現「場」と呼ぶから混乱するが、それは全く場所ではない。
さらに言えば、場所ではない以上、どんなに「階層の下の方」から距離のある存在になったとしても、本質と向き合い続けることができれば、その人の存在は常に現場となる。

上司への愚痴然り、忙しさ然り、疲労然り、僕の視界を曇らせる言い訳たちは今日も波のように押し寄せてくる。
そんな師走に荒れ狂う波の中で、現場から目をそらさずにいたい。
僕は最後まで現場を探していたい。

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