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絶望の淵から飛び降りたら4秒で(以下自粛)

とにかくも、文章で伝えたい。

とにかくも、patoさんのお話が聴けるなら伺いたい。

patoさんの話を聴くべく絶望の淵から飛び降りたら、そこは下北沢でした。

おなじみ、本屋B&B。

『pato × 田中泰延「おっさんの私たちが書くことで得られるもの」『文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である。』(アスコム)刊行記念』に参戦です。

「通夜のような静けさ」の中で

正直に言って、patoさんについてはほとんど知らない。いや、知らないで生きてきた。

今回、patoさんの大ファンである田中泰延さんが推しに推した本が、まさに手に取りたい本だから出会えた。

全く知らないままでは決まりが悪いので、本番前にpatoさんの記事を1本読んでみた。
田中泰延さんが推薦する中の1本だ。

なんというか、熱量と脱力感と圧倒的な説得力とそこはかとない何か、それは田中泰延さんが「叙情」と表現されていて腹落ちしたものだけれど、それらがそれぞれ分量がありながらもバランスよく盛り付けられていた。

それと比べて自分の文章なんて…

「幸せや不幸なんて他人と比べるものじゃないよね」

「文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である。」p.319ほか

いや、いかん。黒沢くんも言っているではないか。幸せや不幸とは少し違うけど。

人と比べても仕方ない。
ましてや数々のバズを生み出し多くのファンを抱えるpatoさんと、未だバズを経験してすらいない我が身を比べても何にもならないのだ。

結局そういうところなんだと思う。
何をやっても引け目を感じるばかり。
でも、引け目って他人との比較でしか生まれないから、引け目を感じている時点でまだまだなんだな。
味わうべきは引け目ではなく絶望だ。

お二人の話を聴くにつけ、絶望は…

いや、全く深まらないわ。
とにかく楽しい。

場を楽しませることに二人とも全力だ。

そういう人が大好きなので、私もpatoさんの大ファンになれると思う。
実際に大ファンになるのは記事をたくさん読んでからにしよう。じゃないと失礼だから。

本を出したい。

でも思い付くテーマがチープすぎる気がして気が引ける。

案の定、noteもビューが伸びない。

最後の質疑応答で発言されたお三方の質問の質というか、その質問を生み出すバックボーンというか、そういうものにただ圧倒されてしまった。

とはいえ、負けてられないとかではなく、自分の感情が何でどれくらい動いてどれくらい表現できるか。

事象と心象がどこでどう交わるのか。

しっかり自分を見つめて探り当てる。

ブログブームから文章書くことを始めたが、文章を書くのが好きではないのかもしれない。
でも、文章書くことくらいしか自分を表現する手段がないから。
自分で自分を諦めたらもう何も残らないから。
せめて自分で自分を信じてみようと思う。

頑張ってみろよ、自分。

著者、著者さん大ファン、著書の担当編集のお三方にサインいただきました。

「『田﨑』は九州だよね」とはさすがです

田中泰延さんを推して以来、田中泰延さんが推す素敵な方にたくさんお会いして、私も推すに至っている。

たくさんの出会いをいただいて、田中泰延さんには(勝手ながら)深く感謝しています。
今夜もありがとうございました。

改めてひっそりと決意する。

絶望を抱えるほど書く。

私には、書くしか取り柄がないから

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