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日本的な立場で良い点、悪い点

前回は「食」について記事にしていましたが、今回は毛色を変えて、国民性と言いますか、日本のアイデンティティについて書いてみます。
ところで、日本国旗を見出しにすると、「右寄り」に見えてしまうのは私だけでしょうか…
私は「国」という単位に対して、肯定的でも否定的でもありません。それでも、「自国」「敵国」「愛国心」など、国単位で人類は発展しており、今後もそうだと思うので、このnoteという自由記述の場を活用してみます。

【ぐぬぬぬ…と思ったこと】
初めに、私見ではなく他見を記します。
外国人から見た日本人の印象は色々あると思いますが、私なりに考えさせられた文献があるので下記に載せてみました。

1951年に毎日新聞社から発行されたウィンストン・チャーチルの「第二次大戦回顧録」では、158~159ページに掛けて「日本人は外交や交渉ということを知らないらしい」という内容が書かれています。

政治家であり、軍人であり、作家でもあります。
それにしても、表紙怖すぎませんか…

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。
すると議会は、いままで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分らない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。

ウィストン・チャーチル 著 「第二次大戦回顧録」より

これは、戦後の日本に対する講評ですが、現在の外交にも当てはまると思います。我慢強さを美徳とする一方、相手にはその忍耐が伝わっていないケースです。
一方で、「交渉術」や「コミュニケーション術」は割と最近のワードかと思います。どんな仕事でも、人と話し合いの機会はあるから、自分の気持ちと相手の気持ちありきでコミュニケーションが取れれば良いですが、利潤が絡むとどうしても、どちらかに偏りがちです。
私自身、教師をしていると「和を以て貴しとなす」では片付けられないのが正直なところです。
ところで、感情の爆発が「刺し違える」ことになればとんでもない話ですが、当時の一般人はどんな雰囲気だったのか、YouTubeで探してみました。

こちらは戦前です。

こちらは戦後間もない様子です。
当時の日本人は、外国人との接点はあまり無いと思うので、人と関わる際、価値観の大きな違いは無かったかもしれません。
それにしても、戦前と戦後の服装もそうですが、大分変化しているように見えるのは私だけでしょうか…

2100年の暮らしはどうなるのだろう…

【日本的な持ち味を生かせば】
ただ、チャーチルの指摘はあくまでも外国人から見た戦後の日本人の印象であって、当時の外交が物語っているからだと思います。
反論をせず、要求を呑む姿は我慢強さに通じていますが、こうした背景に、当時の日本人には「試練を好機とする」精神が宿っている気がします。
若者からしてみれば、「昭和だな~」と言われてしまいそうですが、昭和よりもっともっと以前の話かもしれません。

読んでいると背筋が伸びる2冊です。

【時は令和、しかも6年目!!】
当時、菅官房長官がメディアの前で「令和」を掲げたのが2019年です(もう、早いです…)。
現代の日本人的日本の傾向について、私見を含めて、一冊の本を紹介して締めたいと思います。

初版は10年程前です。
「日本人」のイメージについて考えさせられます。

本書に掲載されている調査によると、現代の日本人は、日本という国に対して比較的肯定的です。「食文化が優れている」「治安は概ね良い」「衛生的である」などなど…

ところが、「もし、日本が経済的破綻、あるいは戦争状態になるなどの危機に瀕したとき、あなたは国のために立ち上がる気持ちがあるか」という質問に対して多くの人が「NO!」となります。

確かに、私自身「日本のために働いているのか」と問われると、答えに詰まります。「自分自身や他人のために務めており、地域住民や北海道のため…引いては日本のため…」程度です。
自国への関心が薄まった原因の一つが敗戦後の教育であれば、少し寂しいですが、多様性が叫ばれる昨今、今一度自分の中で整理しておいた方が良いテーマだなと思いました。

今回は以上になります。これからも何かをヒントに記事にしていきます。近頃、フォローの数も少しづつ増えていき励みになっています。今後もよろしくお願いします。

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