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Vol_20:知行楽そして游

先日、大学院でグループワークがあり、
同グループのメンバーに『知好楽(ちこうらく)』という言葉を教わりました。

僕自身、とても気に入ったので共有させていただきます。



「知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者」

(これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず)

これを略して「知・好・楽」(ち・こう・らく)といいます。


「何事をやるにしても、知ってるだけの人より好きである人が勝っており、
更に好きだけの人より楽しむ人が勝っている。つまり、何事も楽しんでやる人にはかなわない。」

ということです。

実際の仕事に置き換えると…

【知ってる人】
「ああ、それ知ってる」
「分かってるけど、昨年もやってダメだった」
「あの人に売りに行っても無駄だよ」


というように、
なんでも知った風に否定する人がいます。

これでは前に進みません。


【好きな人、楽しんでいる人】

「僕は、このサービスが好きなんです。
だから、もっと良さを分かっていただきたい。
なのでもうう一度、提案に行こうと思います。」


「きっと、私の伝え方が悪かったので提案方法を改善してみます。」

「このようにプレゼン資料創るのも好きなんです。」

「お客様に喜んでもらえると仕事が楽しくなります。」


圧倒的に、
後者の人の方が仕事で成果を上げそうですよね。

ここまでが「知好楽」です。


しかし、この言葉には続きがあり
それこそが仕事の本質を教えてくれます。


論語では別の箇所に
「藝に游ぶ(げいにあそぶ)」とあり、

藝とは、芸のこと。
現代においては仕事と置き換えていいでしょう。

つまり、仕事に遊ぶということ。

真面目な人程、抵抗があるかもしれないですが、


よく考えると、
子どもが夢中になって遊んでいるとき、
時間も忘れて熱中するものです。


例えばゲームは、
「楽しい失敗」をするように設計されています。

子どもたちがゲームが大好きなのは、
何度も失敗するからです。

いちども失敗せずにクリアできるゲームほどつまらないものはないので。

優れたゲームは、失敗するほど
「もっとうまくなりたい」という気持ちになるようなフィードバックを送ってくれる。


だからこそ没頭して、上達していくのでしょう。


同じように、先人達も何かに夢中になって、寝食も忘れ開発…なんて聞くと「苦労されていた」と思いがちですが

本当はそれほど、
熱中して時間も忘れるくらい楽しかったんじゃないか。

きっと楽しくて研究や開発に没頭していた。
それって、本人にとって苦ではないですよね。

知るも好きも楽しむも、全てが極まった状態、それが「遊ぶ」なのでは。

子どものゲーム、
先人たちが夢中になったこと、

これが【知行楽、そして游】という言葉に詰まっています。

頑張ることも耐えることも
日常の全てが「遊び」

努力する者が
楽しむ者に勝てるワケがない




100年後、未来の歴史学者は
「21世紀の最大の悲劇は、人類の大半が嫌いな仕事に就いていたことだ」

と分析するでしょう。

未来の人は、
僕たちが好きでもない仕事のために、
縛られている姿が理解できないかもしれません。

ですが、そんな理不尽は身近にいっぱいあります。

小さい頃、戦争を体験した祖父に
「なぜ行ったのか?」ときいたことがあります。


祖父はただ「みんな行ったから、しかたなかったんだ」と語っていました。


あんなに恐ろしい戦場にみんなが行くからという理由で行ったのかと、
ショックを受けたのを覚えています。


そもそも、
自分のやりたくないことを長期間やるのは、
あまり健康的ではありません。

一種の精神的虐待だともいえるでしょう。


もし、意志に反して誰かを監禁して、
無理矢理働かせたらそれは監禁罪で逮捕されます。


しかし、
本人が自分の大嫌いなことを長時間やっていても、
それは犯罪にはなりません。


加害者と被害者が同じだと、犯罪が成立しないのは、
よく考えると不思議ですよね。


すこし大袈裟なことを言いましたが、、、

仕事においても、
人生においても、

論語の『知行楽、そして游』という言葉は、
僕たちに本質的なことを教えてくれるように感じます。


ただ、どんな仕事でも「好き」になるためには
徹底的にやり込むというファーストステップがあります。

論語を読み進めると、どうやら受け身で好きになることはなさそうです。

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