見出し画像

「お伽草紙 太宰治」【7/14執筆】

↑青空文庫なので0円で読めます、オススメ


 「舌切雀」


原作をほとんど知らない状況で読んだので、他の作品と比べて新鮮な気持ちで読み進めることができた。

「しかし、お爺さんは、そのやうなお世辞を聞く度毎に、幽かに苦笑して、「いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました。」と言つたさうだ。」の結末文に、お爺さんの人柄が色濃く現れていると感じ、強く印象に残っている。

終始、いがみあっていた2人だが、やはり死後には相手の存在を認め、素直に感謝を表すことができるようになるものなのかと不思議に思う。

お婆さんが持ち帰った重い大きい葛籠の中に詰まっていた金貨のおかげで、お爺さんは立身出世するわけであるが、上記の結末文を読むと、仕事とお金を手にした人間の心には余裕が生まれるということを暗喩しているのではないかと考えた。


なぜ「舌切雀」の結末が大きく変更されているか


「つまり、『お伽草紙』の四つの昔話の中で、結末が大きく変更されているのは結尾に置かれた「舌切雀」のみなのである。この変更は大きな意味を持つだろう。「舌切雀」を読み解くうえで、結末部の解釈は避けて通れないものであると考えた。」とあるように、私自身も感想で述べたとおり、結末部について深く考える必要があると認識している。

原作と見比べても、やはり原型をとどめていないほどに大きな変更がなされていることが確認できる。

なぜ、作者は『お伽草紙』の結尾に置いた「舌切雀」の結末を原作と異なる内容にしたのだろうか。

この疑問に答えるためには、「変更した点には作者である太宰の書きたかったことが強く表れていると考えられる」とあるように、作者の思惑を考える必要があるだろう。

太宰が『お伽草紙』で描こうとしたのは、「所謂「不正」の事件は、一つも無かつたのに、それでも不幸な人が出てしまつた」という「性格の悲喜劇」であり、つまりそれは世の無常を表現しているのではないだろうか、と私は考えている。

「舌切雀」の結末部からは、人生は勧善懲悪ではなく、悪事を働かなくとも死ぬことがあり、また善行を積まなくとも恩恵を受けることがあるものだという作者のメッセージを読み取ることができる。

『竹青』に「人間万事塞翁の馬。」という言葉があることも、このメッセージを裏付けるものであろう。



この記事が参加している募集

読書感想文

おうち時間を工夫で楽しく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?