21歳大学生が描く、スマホのない世界へ。


『いま目の前になにが見えるか』

こう、問いかけられて、もしいまあなたがふと顔を上げたとしたら、それは危険な状態、かもしれない。

あなたの目の前には、いつでもどこでも誰とでも繋がることのできる世界が無限に広がっている。

と同時に、目の前の大切な一瞬を失っているかもしれないのだ。


はじめに


僕が人生で初めてスマホを手にしたのは、確か小6くらいの頃。

そう、日本初のiPhone

大きなパソコンが、こんなに小さな機械の中に入っているのだと、心底驚いたのを今でも鮮明に覚えている。

そのときのiPhoneは、速度的には今よりも遥かに遅かったが、それでも僕の中では革命が起きた。

あれから10年以上が経ち、今や誰もがスマホを手にし、いつでもどこにいても、世界にアクセスできるようになった。

こんな小さな機械が、歴史を変え、世界を変え、人々を変えた。

今や、誰もがスマホを手に持ち、電車、バス、公園、道端、街中の至る所で、人々はデバイスに夢中になっている。


歩きスマホ・ながらスマホ


「いや、私は一度たりとも歩きスマホをしたことがない」と主張できる人は、どれくらいいるだろうか。

いま、目の前で起こっている現実をよそ目に、それよりも重大らしいLINEの返信や、仮想のポケモンとの戦いに躍起になっている。

そう、横断歩道でさえもね。

これが非常に危険なことである、と誰もが分かっているはずなのに、誰もが一度は「歩きスマホ」をした事があるというのだ。

スマホが原因となった事件や交通事故が相次ぐ中、そしてそれらが大々的に報じられているにもかかわらず、一向に止む気配がない。

もしかしたら、その危険性に、気付いていないのだろうか。


スマホの利便性


だからといって、歩きスマホやながらスマホなど、スマホの危険性ばかりを主張したいわけではない。

言うまでもなく、我々にとってスマホは非常に便利であり、同時に、スマホが人々を掌握するためにも便利なツールであるということを忘れてはならない。


The New York Timesから、以下のような記事がリリースされた。


スマホやSNSに「依存」するのは理由があった 知られざる「行動依存症」の実態 | The New York Times - 東洋経済オンライン


簡潔にまとめると

・1日に平均18回アプリを起動
・スマホの依存により、脳が薬物乱用者と同様の状態になる
・成人の60%が就寝時に携帯電話を側に置いている
・スマホが行動依存症を促進
・ジョブズの子供はiPadを持っていなかった
・シリコンバレーにいる多くの大物が子供にスマホを近づけない


つまり、スマホの多くの利便性には気付いているものの、スマホが我々の生活の大部分を侵害しているということには、全く気が付いていないのだ。

これは、非常に危険な状態だ。


ここからは、特に僕の経験を主軸に置きながら、スマホ社会への考えを示していこうと思う。

それが今の僕にできる精一杯の抵抗である。


僕が"カフェ雑談"をやる理由


僕の肩書きは、『プロカフェラー』

プロカフェラーとは、カフェ雑談を通じて、【約6ヶ月で150人】と出会い、「オンラインからオフラインへ」をテーマに活動している存在、である。


カフェ雑談のルールは1つ。

出会いのキッカケが
全てツイッターであること。

そして、カフェ雑談とは、ツイッターで繋がった人とカフェで2時間程度の雑談を行うことである。


至極、シンプルである。


「なぜそんなことやってるの?」

この質問を何百回と聞かれ続けたので、ここでも簡単に答えておく。


「リアルの世界が絶対だから」

リアルに、ウソはない。


"雑談"で養った、人を見る目。


スマホが我々の生活の大部分を侵害しているのだとしたら、その悪影響はリアルの世界に及ぶ。

オンラインの世界から、現実の世界に引っ張り出すことをしなければ、この問題を語る資格はない。

僕は日夜ツイッターでDMを送り、カフェで人と会い続けた。

そして、老若男女問わず、下は中学生、上は還暦に至るまで、多種多様な方々と雑談を続けた。


朝8時から夜10時まで喋りっぱなし、なんてことは日常茶飯事。

一方的に聞き続けることもあれば、他方、僕がたくさん話す場面もあった。


どちらにせよ、心から、楽しかった。

雑談というより対話だった。


さすがに150人も会っていたら、いやでも人を見る目は養われた。

鑑識眼、とまではいかないが、会って5分程度で、その人がどういう人なのか、感覚レベルで見分けがつくようになった。

もちろん、話していく内に、論理的に理解することもできるようになったが、人も動物である。

やはり感覚が正しい。


"カフェ雑談"で見えたもの。


少し話が逸れたが、僕はこのカフェ雑談で見えたことがある。


それは

「オフラインとオンラインの印象は、全く違うということ。」


つまり

「ツイッターとリアルは違う。」


正直、良くも悪くも、である。

僕は必ずカフェ雑談の前には、礼儀として、会いに来てくれる方のアカウントに全て目を通す。

また、ブログプロフィール欄があれば、全て読むようにしていた。

直近のツイートやいいね等、オンラインから得られる情報を出来る限りインプットして臨んだ。

なぜなら、それがカフェ雑談をする上での礼儀だと思っていたし、オンラインからオフラインへの分析をするならば必須要件だから、である。

これらのステップを全てこなし、日夜ツイッターでDMのやりとりをし、毎日のように人に会い続けていた。

オンラインとオフラインを行ったり来たりしつづける日々だった。

僕は完全に「カフェ雑談依存症」だったように思える(笑)

ただ、休むことを忘れるくらいに毎日本当に充実していた。


7:38:55の法則


カフェ雑談をする過程で、
僕はこの法則に出会った。

『メラビアンの法則』である。

話し手が聞き手に与える影響は、以下の3つから構成されており、それぞれの影響力は以下の割合である。

・言語情報(Verbal)…7%
・聴覚情報(Vocal)…38%
・視覚情報(Visual)…55%


様々な議論を呼ぶかもしれないが、僕は以下のように理解した。

・メールやLINE…7%
・音声や通話…45%(7%+38%)
・対面…100%(7%+38%+55%)

異論は認める。

けれども、僕は、この数値に、感覚的にとても納得している。

矛盾のような表現だけれども、それほど対面の影響力は強い。


「分かった気」になる危険性


会いにきてくれる方のアカウント情報をくまなくチェックし、DMのやりとりを重ねたが、実際に目の前にすると全く想像と違う…

なんてことは日常茶飯事。

それにもかかわらず、みんな「分かった気」になっている。

スマホで読んだ文字情報だけで、「分かった気」になる。

文字情報だけで、その人のこと全てを知っているかのような物言いをする。

この危険性を、恐ろしさを、世の若者はどこまで気付いているか。

「分かった気」になるのは、遥かに簡単、幼稚園児だって出来る。

そこで、みんな、「実際に会ったらどんな人なんだろう?」という思考に至らない。恐ろしい。

この根源には、スマホがある。

世界中、いつでもどこでも誰とでも繋がることができ、世界のありとあらゆる人やモノを「分かった気」になることができる。

「知ったかぶり」できる。

想いを馳せるヒマがない。
足を運ぶ気概がない。

会わないと分からないことがたくさんあることを僕は知っている。

本質を見抜く力


本質とは、本当の性質のこと。

SNSを通じて、本質を見抜くことができるわけがない。

こんな小さな機械の画面で、本質が分かるわけがない。

ましてや、一度会っただけじゃ相手のことなんて全然分からないというのに。

「分かった気」になっているだけで、本質は見えていないのだ。

これらの問題は非常に深刻だ。

意識レベルでは気付くことができないほどに、スマホは、オンラインの世界は、我々の生活を確実に蝕んでいる。

便利なモノに頼れば頼るほど
必ずどこかで痛い目を見る。

歴史は、繰り返す。

「分かった気」になり
本質を見抜けない若者が
増えていることは確実だ。

そして恐ろしいことに、これからこういった人々がますます増え続けていく、ということである。

カフェ雑談で様々な人々に出会い、肌で感じたこの恐ろしさに、"本当に"共感できる同年代はどれほどいるのだろうか。

僕はこの事態に警鐘を鳴らす。

これはそのための文章である。


デジタルデトックスの罠


「分かった気」になって
本質を見抜くことをせず
「知ったかぶり」をして
実際に、足を運ばない。

誰しもある経験だけれども
スマホという文明の利器で
顕著に表れ始めたと感じる。

この問題をどう考えるか。
そして、どう対処すべきか。

僕なりの見解を示したい。

この問題に関しては、ことスマホ依存に関しての物理的な対処方法は、多数挙げられるだろう。

「デジタルデトックス」という言葉が、巷で話題になっている。

寝室には持ち込まない。
夜◯時以降は通知を切る。
スマホを置いて外に出る。等

もちろん大切な対処法だ。
物理的に距離を取ることは重要。

だがしかし、今の東京にいる若者、特に同年代の大学生を見ている限りでは、この対処法では火消しにしかならない。

また、この問題は、もっと深刻で複雑なだけでなく、ただの一大学生に解決できるような代物ではないことを書き記しておきたい。

その上で、最後にどうしても僕には伝えたい想いがある。

一番最初に記した一行がある。


『いま目の前になにが見えるか』


いま、あなたの目の前には
なにが広がっているのか。

難しいことは言わない。

この一行だけでいい。
この一行だけを考えてほしい。

『いま目の前になにが見えるか』

それは煌々と光りつづける
デバイスの一画面なのか。

それとも、大切な何かなのか。

片手に持ったそのデバイスを
一度、置いて。顔を上げて。

いま、あなたの目の前には
なにが広がっているだろうか。

緑豊かな何気ない風景が。
季節の変化を知らせる蕾が。
元気に歩く子供達の笑顔が。

そして目の前に佇む大切な人が。

これまで見えなかった世界が。


スマホのない世界へ。


目で見て
耳で聴き
鼻で嗅ぎ
肌で感じ
舌で味わう


ごく当たり前の何気ない日常を
五感を研ぎ澄ませて感じる。

この何気ない、ただの1日が、
全く違ったものに見えるはずだ。

さあ、スマホを置いて。
顔を上げて、前を向こう。

誰もが知っているようで
誰もが知らない世界が
あなたを待っている。

そして。

何気ない出来事に幸せを感じ
目の前の現実に想いを馳せ
1つ1つの事に感謝してみよう。

ただの四角い電子機器からでは感じ得なかったことが、五感を通じて身体に染み渡ってくることを実感できるだろう。

あなたの世界は画面ではない。

再び問いかけよう。

『いま目の前になにが見えるか』

あとがき 


― 『スマホのない世界へ』

最後まで読んで頂き、
本当にありがとうございました。

構成としては、スマホ依存症から始まり、スマホの利便性と危険性、昨今の若者の状況、カフェ雑談での経験談や所感、そして様々な問題への僕なりの見解、という形で進めてまいりました。

僕としては、スマホのない世界に想いを馳せることが多々あるのですが、やはりスマホは便利ですし、適切な使い方ができたら、生活はより豊かになると思います。

現に、僕もスマホから多くの出会いの機会をもらいましたし、このように発信する場も頂きました。

そして、皆様と繋がることができました。

ただ、僕としては、電車内で大学生のカップルが、お互いスマホを見ながら、身体は向き合っている、という現実に違和感を覚えずにはいられなかったのです。

そこから、東京を中心に人々の所作に目を配るようになりました。

至る所で、スマホスマホスマホ。

本を読んでいる人を見てホッとする有様。

弱冠21歳の若造ですが、それゆえに大学生という同年代の気持ちにも寄り添うことができる。

こう考え、このような状況に対して、僕なりに考えてきたことをまとめ、発信したいと考えました。

経験上、話すことには慣れていますが、書くことに関してはただの素人です。

拙い文章で申し訳ないです。

しかしながら、いかなる形であれ、世の中に伝えたいという想いが強く、今回文字を連ねました。

反響があるかどうかはわかりませんが、今回の一連の文章は、noteにまとめて出そうと決意し、書き連ねてまいりました。

最後まで、長く拙い文章にお付き合い頂き、ありがとうございました!

今後とも、プロカフェラーなおきちをよろしくお願いします!

僕の強い想いが、同年代の若者、特に大学生に伝わることを、そして、皆様の日々が、幸せと感謝で溢れることを心から願っております。


プロカフェラーなおきち


[裏エピソード]


「少なくとも俺は、君との出会いは衝撃的だったよ」というカッコいい発言をしてくれた、がてぃのおかげで、この文章はあります。



着想をくれたのは彼です。

「そういう考えをツイートしてまとめなよ、強みこそ需要あるよ」って言い放ってくれました、感謝です。


※ご意見・ご感想等ございましたら、下記のツイッターアカウントにご連絡ください。リプライもDMも全て見ております。

RT等で拡散させて頂くかもです!

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