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野田サトル『ゴールデンカムイ』、船戸与一『蝦夷地別件』とアイヌの歴史 【高校日本史を学び直しながら文学を読む4】

 シリーズ名は「高校日本史を学び直しながら文学を読む」ですが、今回は文学に限定せず、漫画も含めて考えていきたいと思います。今回とりあげる『ゴールデンカムイ』は野田サトル原作で、シリーズ累計2700万部を突破した人気漫画であり、アニメ化、実写映画化など勢いがとまりません。高度なエンターテインメント性、効果的な演出力、奇想天外なストーリーなどで多くの人をひきつけているだけでなく、アイヌ文化に関心を持ったり魅力を感じたりする人を増やしたという点においても、画期的な漫画と言えると思います。僕自身、熱心な読者の一人です。しかし、その一方で、この作品のストーリーや描き方に対して批判や指摘なども出てきました。そのような声もひろいながら、歴史学、その他の学問分野、歴史教育、エンターテインメントなどがどのような関係を築きながらアイヌの歴史に向き合うとよいのか、というパブリック・ヒストリーの観点から考えていきたいと思います。

 北海道では、13〜16世紀ごろにアイヌ文化と呼ばれる文化がおこりました。アイヌの人々は蝦夷地だけでなく、千島列島、樺太、ユーラシア大陸北東の海域の島々にも居住していたので、国家をまたぐ交易に従事していました。アイヌ文化では、海や山での漁労や狩猟、採集などで生活しながら、動物・魚・植物などからつくった衣服にアイヌ文様を描き、独自の言語は地名などにも反映されていました。ゴールデンカムイの「カムイ」は神と訳されることが多いですが、自然や身近な道具などありとあらゆるものに尊敬と畏怖の気持ちを込めて、それらを神ととらえるような文化です。熊は毛皮や肉をもたらすため、熊の猟そのものに信仰としての意味があり、イオマンテといって、熊に贈り物をもたせて霊を送り返す儀式をおこないます。アイヌ文化では、言葉を魂として大切にし、文字としては残しません。それでも、ユカラ(物語)の口伝えにより、文化は受け継がれていきました。
 やがて、本州から北海道に移住・定着し、アイヌとの間でさかんに交易をおこなう人が増えてきました。このような人は和人と呼ばれますが、アイヌの人たちはシャモと呼びます。和人たちは津軽の安藤氏の支配下にあり、渡島半島南部に館と呼ばれる拠点を築きました。それらの拠点は道南十二館と総称されるようになりました。和人の有力者が貿易の利益を独占するようになると、1457年、アイヌは大首長コシャマインを中心に蜂起しました。しかし、蠣崎氏によって鎮圧され、蠣崎氏が渡島半島南部に居住する和人の支配者としての地位を確立しました。
 1604年、徳川家康は松前氏(蠣崎氏が改姓)に蝦夷地交易の独占権を与えました。蝦夷地は、北東アジアと日本を結ぶ交易ルートにあたり、アイヌはこの地域の商品流通を担っていました。昆布、鮭、千島列島のラッコの毛皮、中国産の絹織物(「蝦夷錦」と呼ばれた)などが蝦夷地から流通し、日本側は米、酒、鉄器類を輸出しました。昆布は北前船を介して日本全国に運ばれ、日本料理の出汁文化に大きな影響を与えることになります。農産物による収入が期待できなかった松前藩は、交易権を与えることを上級家臣への知行給付にかえていました。交易が行われる場所を商場(あきないば)と呼ぶことから、これを商場知行制といいます。しかし、松前藩側がアイヌに不利な取引を繰り返す中、1669年、大首長シャクシャインにひきいられたアイヌが蜂起しましたが、鎮圧されました。18世紀になると、商場知行制が変質し、交易を特定の商人に請け負わせ、そのかわりに運上と呼ばれる税を取るようになりました。これを場所請負制といいます。アイヌ社会では地域ごとに複数のコタン(集落)をまとめる首長が存在し、そのもとでそれぞれが独自の生活をしていましたが、場所請負人の搾取が続き、松前藩の従属の度合いも高まっていきました。1789年のクナシリ・メナシの戦いが、アイヌの大きな蜂起としては最後のものとなります。
 19世紀になると、南下するロシアを意識して、幕府が蝦夷地を直接統治するようになります。幕府はアイヌに日本式の服装や戸籍を強制して日本人化をはかり、アイヌの伝統社会を破壊していきました。
 明治時代になると、1869年に開拓使が設置され、蝦夷地を北海道と改称して開拓に乗り出しました。アメリカ式の機械制大農法の移植をはかり、札幌農学校を開設しています。また、開拓と防衛を兼ねる屯田兵もおかれました。その後、開拓使にかわって1886年に北海道庁が設けられますが、衆議院議員選挙法の施行や道議会の開設は遅れました。内地資本の導入で開発は進みますが、先住民族であるアイヌは狩猟・漁労の権利などを失っていき、アイヌ固有の文化は尊重されませんでした。1889年に制定された北海道旧土人保護法は、「保護」とあるものの実際は同化政策であり、アイヌに農業をさせるとしつつも農業に適した土地はアイヌには与えられず、限られた土地で貧困と差別に苦しむ生活が続くことになります。
 1946年、アイヌ民族は北海道アイヌ協会という団体を結成して民族の権利を求めます。しかし、厳しい差別は解消されず、団体は北海道ウタリ協会と改称しました。1980年代ごろから先住民族の権利を求める運動が世界的に盛り上がる中、アイヌ新法を求める動きが強まっていきます。その結果、1997年、差別の原因となっていた北海道旧土人保護法がようやく廃止され、それにかわってアイヌ文化振興法が成立しました。2008年、国会は政府に対し、アイヌ民族を先住民族として認めるよう求める決議をあげ、民族団体も北海道アイヌ協会に再改称しました。そして、2019年、アイヌ民族を「先住民族」としてはじめて明記したアイヌ施策推進法が成立します。その後は、当事者も参加するアイヌ政策がはじまり、2020年には民族共生象徴空間ウポポイが白老町に開設されました。

 さて、ここまで高校の授業で扱うアイヌの歴史の概略を示しました。和人による迫害や差別などの内容がとても多いですね。『ゴールデンカムイ』の作者である野田サトル氏は、「このマンガがすごい!」のインタビューの中で、以下のように話しています。

 「やはり迫害や差別など、暗いイメージがついてまわりますし。でも、アイヌというテーマを明るくおもしろく描けば、人気が出るはずだと確信していました。取材でお会いしたアイヌの方からも言われたんですよ、「可哀想なアイヌなんてもう描かなくていい。強いアイヌを描いてくれ」と。」

 『ゴールデンカムイ』では、アイヌに対する差別のシーンはゼロではないのですが、ほとんどみられません。それは、作者が「かわいそう」よりも「つよい」や「かっこいい」を意識的に優先させていることが大きいと推測できます。また、『ゴールデンカムイ』の言語監修者であり言語文化研究者の中川裕氏は、作者の方針に賛同した上で、「幸いにして私のまわりにいるアイヌの人たちからは、好意的な評価ばかりが聞こえてきます。」(『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』集英社新書、p6)と述べています。中川氏のこの発言が、かなり野田氏の自信につながっていることは、映画公開後の「シネマトゥデイ」のインタビューからうかがうことができます。しかし、ここで述べられているのは、「私のまわりにいる」という曖昧な表現によるアイヌの意見であって、アイヌの人たちの間で様々な意見が存在する可能性があると認識した方がよいのではないでしょうか。

 『ゴールデンカムイ』への最も鋭い批判は、日本近代文学研究者の内藤千珠子氏からなされました。内藤氏は「ヒロインとしてのアイヌ」(『思想』2022年12月号)の中で、民族の問題だけでなくジェンダーの観点から批判をしています。アシリパさんという、読者の中でもファンが多い魅力的な登場人物がいるのですが、全体のストーリーがマッチョな男中心の冒険・暴力で進んでいく中で、アイヌ女性のアシリパさんがヒロインとして消費されているというのです。おそらく、作者も多くの読者もこのような構造には無自覚ではないかと思います。しかし、無自覚だからよいというわけではなく、むしろジェンダーというのは無自覚におこなわれるがゆえに深刻な問題だと認識すべきなのです。

 アイヌのイメージを「かわいそう」ととらえている人が本当に多いのだとしたら、それは歴史教育に関わってきた僕としても、反省すべき点があるように感じています。その一方で、差別などの歴史をしっかり学ぶことそのものがよくないこととはまったく思っていません。差別は、遠い昔の出来事で現在と関係のないものでは決してなく、むしろ今日も続いているものとして、切実性をもって学ぶ必要があると感じています。しかも、アイヌに対する差別には行政が大きく関わってきた歴史があり、差別の改善への動きも極めて遅かったことを忘れてはなりません。そのような歴史への反省がしっかりなされないままにクールジャパン戦略の一環としてウポポイを利用しているような人がいないかどうか、僕たちは主権者として注視していくべきだと思うのです。

 『ゴールデンカムイ』に対する批判的言説も少し紹介しましたが、それでもやはり多くの人がアイヌ文化に関心を持つきっかけになったという功績は大きいと思います。発信力・影響力の点から見ると、歴史学や歴史教育などの分野はエンターテインメントのメディアミックスには遠く及びません。だからこそ、パブリック・ヒストリーの視点から、どのように歩み寄れるのかを考えることが大切だと思うのです。

 さて、もう一つ、船戸与一の『蝦夷地別件』を取り上げたいと思います。ただ、この作品に関しては、藤原辰史『歴史の屑拾い』(講談社)という本の中で紹介されているので、そちらを読むことをおすすめします。藤原さんというのは一流の歴史研究者であるだけでなく、美しい文章を書く人で、書き手としても一流であり、僕が憧れる一人なのです。僕の方からは手短な作品紹介にとどめます。
 アイヌの蜂起である「クナシリ・メナシの戦い」を題材とする歴史小説です。この戦いは、松前藩によって首謀者が処刑され、鎮圧されるので、物語の結末も当然明るいものにはなり得ません。他の船戸与一作品でもよくみられるように、複数の人たちが立ち上がって様々な活躍をみせるものの、巨大な権力の前に最後は潰されたり飲み込まれたりしていくという残酷なストーリーです。また、アイヌに対する差別も、目を背けたくなるようなひどいものがたくさん出てきます。
 それでは、この小説を読んだ人が「かわいそうなアイヌ」という感想で終わるかというと、僕は絶対にそんなことはないだろうと思うのです。文庫本で全3冊の大長編でありながら、読者を引き込んで一気に最後まで読ませてしまう力は、エンターテインメントとして申し分のないものに仕上がっています。さらに、読む側の心を揺さぶり、無知な自分に安住していてよいのか、もっと知るべきではないか、学ぶべきではないか、と問いかけてくるような強さがあります。蜂起が失敗に終わったからアイヌが弱いなどとは思わず、むしろ巨大な権力の闇の部分を維持させているたくさんの弱さについて考察したいと思わせてくれるのです。
 アイヌのリーダーとポーランド人で百科全書派の人物が語り合う場面など、歴史学では不可能な設定も出てきますが、それによって「ユーラシア史」のスケールでアイヌの歴史を描くことに成功しています。
 安易な感動を消費するための作品が世の中にあふれている一方、冷徹なリアリズムの視点で歴史を描き、歴史を安易な感動に回収させまいとする力も文学にはあるのだと、船戸与一の作品は教えてくれると僕は思います。

 最後に、ここまでの内容を踏まえて、「歴史学・歴史教育は、他の学問分野やエンターテインメントなどの分野とどのような関係を築いていくべきだろうか。」という問いを提示したいと思います。実は、この問いは僕が高校1年生の「歴史総合」の授業で、蝦夷地・北海道史の講義、ゴールデンカムイ特別講義の後にレポート課題として実際に出したものです。この授業実践の大部分は、パブリック・ヒストリー研究会におけるマーク・ウィンチェスター氏の報告内容を参考にしてできあがったものであることをここに記しておきます。高校1年生ではないみなさんにはレポート課題ではありませんが、考えるきっかけに少しでもなったとしたら幸いです。


主要参考文献

・野田サトル『ゴールデンカムイ(全31巻)』(集英社)
・船戸与一『蝦夷地別件(全3巻)』(小学館文庫)
・高校教科書『詳述歴史総合』(実教出版)
・高校教科書『日本史探究』(実教出版)

・中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社新書)
・リチャード・シドル『アイヌ通史』(岩波書店)
・瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書)
・瀬川拓郎『アイヌの歴史 海と宝のノマド』(講談社選書メチエ)
・山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義【明治篇Ⅰ】』(ちくま新書)
・藤原辰史『歴史の屑拾い』(講談社)




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