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幸せはハートのなかにある。

昔、昔、今から2600年ほど前のことです。南アジアにひとりの王子様がいらっしゃいました。その王子様は何でも持っていました。地位、名誉、美味しい食事、美女……、文字通り何でも持っていたのです。何せ王子様なのですから、欲しいと思うものは何でも手に入ったのでございます。

ですが、29歳の時、自分の国を出ていくのです。自分の国を出る、ということは王子である身分や快適な環境、欲望を満たしてくれるあらゆるものを捨て去るということです。

彼が探していたのは、名誉でも地位でも、お金でも美女でもなかったのです。苦しみを終わらせること、つまり、ほんとうの平安でした。

そして、35歳の時、それを見つけ出しました。彼は苦しみというのは心=自我がつくりだしていた、ということを悟ったのです。

           *

~~さえ手に入ったら、わたしは幸せになれるのに!

と多くの人々は考えております。ですが、彼は、ノー、それはちがうんだよ、と言っています。

上記の元王子様は、現在、ブッダという名前で世界中に知られております。2600年経った今でさえ、その教えに何億人というひとが救われているのです。

ブッダは今日的な自己啓発を説いたわけではありません。どうやったら願望を叶えられるか、どうやったら資産を増やせるか、どうやったらいい感じのパートナーを見つけられるか、ということを話しませんでした。

むしろ、捨て去ることを説いたのです。

執着を手放すことこそが平安である、ということ。

何度も言います。

ブッダは元々、人々が欲しがるもの全てを持っていたのです

もし、

~~さえ手に入ったら幸せになれる、

ということがこの宇宙の真理だとしたら、

ブッダの教えは2600年経つまでもなく、地球から消え去っていたことでしょう。

でもしっかりと残っているのです。大事に尊重されながら……。

なぜ残っていると思いますか?

その答えは、

ほんとうの幸せは、心が欲望している何かを手に入れることにはない、ということを人間はどこかで知っているのです。

これから、たとえば、べーシックインカムが導入されて、お金の問題とかお金を稼ぐために嫌々行っている職場の人間関係が解決するかもしれません。

でも、根源的な憂うつは消えません。なぜならどんなに便利な世の中になり、経済的な不安から自由になったとしても、死ぬことや、欲望を満たしたい、という思いは残るからです。

自分の話をします。

大学受験の時、僕は高校一年生の頃から入りたかった大学の学部の学科に猛勉強の末、合格しました。その時、幸せだったか、と言われるとそうではなく、願いが叶って、安心した、という感情が思い出されるのです。

あるいは、大学生になって、初めて好きになった女性に告白して、交際することになった時、僕はやはり、手に入って、安心した、と言う覚えがあります。

反対に、叶わなかったこともたくさんあります。就活の時、入りたかった会社がありました。でも、内定はもらえませんでした。ハリウッド映画に出たいとか、小説家になって、ベストセラーを出したい、という夢もありました。ぜんぶ叶いませんでした。

でも、その時、その時、「ああ、自分の人生では叶わないんだな」ということを腹の底から納得した時、つまり諦めた時も、平安があったのです。

不思議ですね。

手に入れたい、と思って、手に入った時と、

手に入れたい、と思って、叶わずに、諦めた時の感覚が似ていたのです。

つまり、諦めることは非常に大きな平安を伴うのです。

むしろ、諦めたときに見る景色のほうが美しいくらいでした。

何かにならなくてはいけない、という重荷を下ろすと、

ありのままの世界がただ輝いていることが分かるのです。

逆に特定の何かを手に入れた時は、そのモノや人のことが心を独占してしまうので、自我の意識が強くなってしまうのです。

これは一時的な幸福をもたらしますが、いずれ過ぎ去りますし、失った時の反動が来ます。

最近、質問で、欲望や執着を捨てたいけれど、捨てられません、ということを聞かれます。

手に入らないと分かっているのに、それを追いかけることをやめられない、という方は非常に多いと思うのです。

執着を捨てなさい、と言われて、簡単に執着を捨てられるのであれば、人間はこんなに苦しんでおりません。

僕も欲しいものがたくさんあって、手に入らない苦しみをずっと抱えていました。

そんな僕を救ってくれたのは、ハートの訓練でした。

テレビやインターネットでも街角でも良いのですが、欲望を刺激するモノや人を観た瞬間に、心は「あれを欲しい!」と思います。

そうすると、心は不足(足りない)という世界を映し出すのです。そして、手に入らないので、憂鬱になって苦しくなるのです。

僕がこの数年で訓練してきたのは、欲しい、と心が思った瞬間に、意識を胸のあたりに持って行くということでした。

人間の胸のあたりにはハート・センターと呼ばれる魂の根源があります。

心は外側に映し出される物事に反応するのですが、それをハート・センターに引き戻すことによって、内側にとどまる訓練をするのです。

それによって、この世界には自分の内側しかないのだ、ということが分かり始めます。意識がどんどん大きくなって、宇宙全体がわたし、なんだ、と体感しはじめるのです。

外側のものを掴みに行くことをやめて、常に意識をハートに持っておくこと。そして、今、目の前にあるものをやさしく抱きしめてあげることをする。

やがて、欲しいと思っていたモノやひとが全て自分自身だったのだと気づく時が来ます。その時には、他人を自分の兄弟姉妹、父母のように感じるくらい、意識がひろがっています。すると、自然に個人的な執着が消えます。

人はハートに安らぐだけで、大きな平安を感じるようにできているのです。



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