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僕の人生の課題について。

カルマという言葉がある。

この言葉はスピリチュアルに関心がある方なら聞いたことがあると思う。ほとんどの場合、カルマという言葉は「過去の行いの結果」として捉えられている。

確かにそういう事もあるのだろうけれど、僕はちがう考え方をしている。

その意味を僕は古い行動や思考のパターンだと思っている。

たとえば、僕であれば、子供の頃からひとりになる傾向があった。友達をつくるよりも、家でゲームをやったり、本を読むことの方が好きだった。

別にこれは悪いことではなくて、ただの生まれ持ったキャラクターだ。大人しい子もいれば、にぎやかな子もいる。ひとそれぞれ。

僕が今日お話したいのは、極端になりすぎるのは苦しい、と言うことだ。

僕のカルマは孤独になりがちだということ。何度も書くけれど、孤独は悪いわけではない。むしろ美しい。人生の味わいは孤独のなかにある。

ひとりで文章を読んだり、絵を描いたり、音楽を聴いている時、途方もない安らぎを感じる。

ここ十年、人と関わる時期と、関わらない時期が交互にやってきていている。そして、病気になる時期は後者なのだ。

つまり、ずっと一人でいる時に皮膚病とか、神経症になる。

もし、僕の人生にカルマ(課題)というものがあるとするのなら、それは人と関わるということなのだと思う。

人と関わらずインプットしていた時期が三年ほど続いたのだけれど、その間にため込んだものをシェアしたいという思いに今、駆られている。

孤独と社会性の中間にいること──つまり、中庸の大切さを思っている。

僕の場合、心身の不調と言うのは、情報や思いをため込むと起こる。

そして、外にいる皆様に与える(give)と治る。

別に僕は悟った人間だと自称するつもりはない。自分なりに外側の出来事に影響を受けず、平穏を感じられる日々の過ごし方が分かり始めただけだ。

僕は仏(ブッダ)ではない、その途上にいる菩薩だ。みんなと同じように「道」を歩いている人間だ。共に悟りへの道を進んでいるのだ。

悟りとは微笑むことだと最近思っている。

微笑むことができると、目の前の出来事とちょっとした距離ができる。視点がちょっと高くなる。もちろん、苦しい時は苦しみと一緒にいれば良いし、無理にポジティブ思考になる必要なんてない。

でも、もし、僕たちがこの肉体次元に生を受けた理由が「苦しい時にちょっと笑っていられること」だとしたら──僕は笑えるようになりたいな、と切に思う。

よく「たくさんの苦労を経験してきたひとの笑顔は美しい」と言われるけれど、それは真理であるように感じる今日この頃である。

☆☆☆☆☆☆☆☆

突然ですが、3月3日(日)の13時から、Zoomのお話会を開催しようと思っています。

「自分に優しくすることは優しい呼吸をすること」をテーマにお話したり、ワークをしたりします。

思考のぐるぐるで苦しんでいる方などへ静けさや平安を感じる方法をお伝えします。

後は自由にお話をしたり、色々な質問にその場で答えたりもします。

時間は大体30分を予定していますが、話が深まったり、広がったりすれば、延長します。

料金は無料です。

顔出しするのに抵抗がある方はカメラをオフにしてください。ユーザー名もzoomに参加する際に、仮名に変更できます。

参加を希望される方はこちらまで↓

naokifloweroftheheart@gmail.com

もし上手くいけば、定期的に開催しようと思っています。

宜しくお願い致します。



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