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レジェンド&バタフライと夕暮れ

 久しぶりに映画を観に行った。【レジェンド&バタフライ】キムタクと綾瀬はるかが出演されている「信長と濃姫」の物語である。
 久しぶりすぎて、映画が始まるまでのコマーシャルさえ面白かった。ポップコーンとコーラのキャラクターが「僕たちポップとコークです!あわせてポップコークです!」と言って出てきた。香ばしく跳ねるポップコーンと、シュワシュワ泡が弾けるコーラが購買意欲をそそる。しかし、数日後に健康診断があるという事実が、かろうじて私の食欲を抑えた。


 映画の予告で興味を持ったのは、城のあちこちに蝋燭を灯す、今で言うイルミネーションのような光景だった。ある本では、宣教師に己の力を見せつける為のパフォーマンスとして、城に幾多もの蝋燭を灯して幽玄的にしてみせた、と書いてあった。しかし、映画の中では、宣教師との関わりも薄く、若き日の信長が弟と激しく対立していたことも描かれていない。そう、信長の描かれ方の想像を裏切っているのだ。あくまで信長と濃姫のふたりの関係が幹で、その枝葉に戦が描かれているという、なかなかの恋愛映画だった。お互い愛しく思っているが、意地を張って素直になれない、そんなすれ違いと切なさを、まさかの信長を使って描いてあるのだ。

 上映時間が長くて、後半ちょっとモゾモゾしていたとき、私の座っている左斜め後ろの席から、鼻を啜る音が聞こえてきた。(あれ? 泣く場面かな?)そしてクライマックスには、右後方からも鼻を啜る音が。(あれ?別の人も泣いてる!)なんだか乗り遅れた感が否めない。
 残念ながら私は泣けなかったけれど、充分に楽しめる映画だった。殺陣や馬を走らせるシーンは迫力満点で、これぞ時代劇の醍醐味!という感じだった(大河ドラマのどうする家康では、馬のシーンがCGでやはり違和感があった)。他にも、城の土台の石垣を作るシーンだとか、信長のうつけものと呼ばれた若き日から、魔王と呼ばれるようになるまでの衣装の変歴だとか、綾瀬はるかの身のこなしの美しさなどを興味深く観れた作品だった。

 そもそも歴史は変えられない。信長の妻が濃姫だということも、信長が比叡山を焼き討ちしたことも。そして、本能寺の変で信長が絶命したことも。しかし、形はそのままで、手を変え品を変え物語は作られていく。信長や濃姫の人間性や夫婦の関係、信長を討った明智光秀の動機などは無限に生み出せる。大河ドラマや映画で時代劇が愛されるのは、色んな味付けで歴史が楽しめるからだろう。


 映画が終わるとロビーに出て、すぐケータイを取り出した。電源を切らずマナーモードにしていたら、映画の終盤にケータイが二回ほどブルブル震えていたのだ。こっそり画面をチラ見すると、母の入院先の病院の表示。(何か重大なことだったらどうしよう、このまま退出して連絡しようか?)とも思ったけれど、とりあえず終わるまで待つことにした。
 余韻に浸るまもなく液晶をタップすると、受信履歴がなんと七回も!流石に恐れおののいたけれど、危篤なら家からの電話もあるだろう。そう気持ちを落ち着けて、ザワザワするロビーの赤いビロードの椅子に座り、病院に電話をかけた。

 病院からの連絡はこうだった。
「同じ病棟からコロナ患者が出たので、もしかすると明日予定していた転院が伸びるかもしれません。今のところお母様は陰性で、明日朝からも検査しますが、万が一を考えてご連絡しました」
 どうやら、心配していた事態ではなくて良かった。
 明日、ひと月半ぶりに母に会うことができる。コロナの影響で、面会もできず、母の姿を見れるのは転院のとき、もしくは危篤のときになる。コロナが二類相当から五類になる、五月以降はどうなるかわからないけど、インフルエンザでも病院の面会は禁止されているから結局同じだ。

 午後五時半、バスに揺られながら自宅へ向かう。陽が落ちゆく街並みを眺めながら、映画の醍醐味と存在価値に思いを馳せた。作品を家のテレビで見ると集中できず没入感が得られない。それに、家でダラダラ観ていると、作品と自分との繋がりができない。例えば若い頃、彼と観に行った映画は、それだけで自分自身の細胞の中に生きている、特別な句読点となる。
 だから、いつか思うのだ。三月上旬の暖かさを肌で感じた二月に【レジェンド&バタフライ】を観に行った。途中でケータイが震えた。母のいる病院からの着信。何事もなくて良かった。…その日は生きていたんだと、そう遠くない未来に天逝するであろう母のことを、きっと後から切なく思い出す。
 
 バスから降りると、辺りは夕暮れに染まっていた。半月よりふっくらした月を見上げて思った。これからも映画館に行こう。映画を、私の命を美しく彩る、背景のひとつにしようと。

 

 
 

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