晩鐘と羅針盤


 外は雨が降っている。遠くに見える梅の木が、ぼんやり薄桃色に染まっている。車は、ときおり激しく降る雨音を蹴散らせながら、走り去っていく。

 いつの間にか、三月になった。温かい日と、底冷えのする日を繰り返しながら、春に近づいていく。身体は外気のアップダウンにまだ慣れず、気を抜くと、心までアップダウンするので、自分で自分を労わる毎日である。

 
 こんなときこそ「読書だ!」と思い、昨日手に取ったのが『晩鐘』という小説だった。佐藤愛子氏がご自身の体験を元に書かれた私小説で、波瀾万丈な生きざまが書かれてある。
 主人公は小説家の杉子。杉子の夫、辰彦は元々小説を書いていたが、会社を経営することになり、上手くいかず莫大な借金を背負った。借金で迷惑をかけたくないので、偽装離婚をしようと辰彦に言われ、杉子は離婚に応じる。しかし、辰彦は、銀座のママといつの間にか再婚していた。しかも、杉子の住む家は、辰彦の借金の抵当に入ったままだった。杉子は死にものぐるいで小説を書き、また、講演会で飛び回り、一生懸命、母と娘の生活を支える。しかも、ときおり頼ってくる辰彦を無下にできず、無理な頼みをきいたりするのだ。二人の間に流れるのは、愛なのか情なのか、それとも、憎しみなのか? 

 杉子こと佐藤愛子氏は、情にものすごく厚い方なのだろうと思う。今では、家族であっても災いをもたらす人は、断捨離し一刀両断するのが当たり前の風潮だけど、佐藤愛子氏は、傷ついた人を放っておけないのだ。

 後半、辰彦や文壇の仲間が次々と亡くなり、杉子が寂しさを感じていく様子が身につまされる。辰彦の友人の桑田は、くだらないことで杉子に連絡を寄こしていた。杉子は軽くあしらいながら相手をしていたが、いつしか桑田からの連絡が途絶えた。「近いうちに家に伺います」と、電話があったきり、その日が過ぎても音沙汰がない。携帯にかけても繋がらない。いつも連絡をもらうだけで、彼の住所も知らない。昔もらった年賀状を必死に探して見つけるが、そこは当時の出張先の住所。今は、そこには居ないのだ。突然降ってきた、凍りつくような孤独…。あんなに軽く見ていた桑田さえも、杉子の人生を彩る存在になっていたのだ。長生きするということは、失うものが増えていき、切り裂かれるような寂しさを抱えて生きるということなのだ。


 
 買い物を終え、まだ誰もいない家の扉を開ける。部屋にある父の仏壇に、桜餅とおはぎをお供えし、ピンクと赤い薔薇を飾る。甘い香りが、心を潤してくれる。写真の中の父は、いつでも笑っている。
 入院中の母にも、今日、ひと月半ぶりに会えた。両手の腫れも落ち着き、思ったより元気そうだった。ただ、顔を近づけた私のことを認識できないのか、母のガラス玉のような瞳は、私を通りこして、ただ、遠くを見ているだけだった。
 
 アルコール3%の、ほろよい白ぶどうを飲みながら、ぱりぽりお煎餅を食べている。ご飯や麺類を控えて、野菜中心の食生活を目指しているのに、これではプラスマイナスゼロ。でも、今日は、それでもいい。
 
 テレビで、中島みゆきさんの歌が流れている。中学生のとき好きになって、かれこれ40年。彼女も私も、同じように年齢を重ねていった。その時々の時代の歌が、優しく、時には鋭く、私の感情を深く揺さぶる。

 
 ほのかな酔いに誘われて、『銀の龍の背に乗って』を口ずさむ。
 〜 急げ悲しみ 翼に変われ  急げ傷痕 羅針盤になれ 〜

 夜更けになっても、まだ雨は降っている。カーテンをザッと閉めて、明日頂く、はまぐりの塩抜きをしようとキッチンへ向かった。
 


 


 


 

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