ほんとうの贅沢

 たゆたゆと水辺を走る波しぶき。柔らかな風に吹かれてきらきらひかる姿は美しい。されど、豪風で水底をかき回されて吹き出る飛沫は、汚泥をさらし水面を濁らせる。


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 挨拶っていいよね。朝は「おはよう」昼は「こんにちは」夜は「こんばんは」。意味もなく、ただ相手を認識するために交わす合言葉。お天気から始まって、今日のご飯はなんにしようか、昨日のテレビ面白かったねなんて、取り止めのない話を転がすのが好きなんだ。

 それが、誰かの噂話からの悪口、そういう流れは嫌いだ。人と人との会話って、どうでもいい話、表面的な話題が案外、居心地良かったりするの。あなたに敵意は無いですよって、優しい会話。そういう話ができる友達未満、知り合い以上の関係が周りにたくさんあればいい。



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 【ほんとうの贅沢】吉沢久子さんが書かれたエッセイ。彼女は1918年生まれの家事評論家、エッセイストである。この本を出された2015年、97歳でひとり暮らしだ(今は天寿を全うされた)。「毎日を気ままに、誰に気兼ねなく生きるという幸せ」を教えてくれる。

 その中で、「踏み込まない」「踏み込ませない」人付き合いの極意が書いてあったんだ。ー 人付き合いは八分目でも多すぎる ー 

 彼女の知り合いの話。隣同士仲良くて、お互い何かあった時の為に鍵を交換していた方がいたそう。ある時外出から帰ってきたら、戸棚に作った覚えのないかぼちゃの煮付けが入っていた。隣の方が親切心で持ってきたらしくて、不在だったので鍵で中に入り置いていったとの事。それを不快に思い、その一度のすれ違いから、だんだん距離を置くようになったそうだ。

 たぶん、隣の人は同じことをされたら喜ぶ思うタイプだったのだろう。でも、ここまでは、踏み込まれたくない、その境界線は、残念ながら人によって違うのだ。末長く付き合いたいと思うのなら、その人の中にあるルールを知ることが大事なんだ。そう書いてあった。


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 ないものねだりのI wont you じゃないけれど(知らないだろうなぁ、C -C−Bの曲)いつもお互いのことを分かりあえる相思相愛のソウルメイトが欲しいと憧れるけれど、束縛されるのは苦手な私には無理な話なんだろう。ミステリアスくらいがいいのかも?なんてね。

 また、友人知人とはうまく距離を保てても、家族には感情的になってしまう、うん、反省だな、まったく。素敵な先輩の著書を読んだら気持ちが落ち着くんだ。若い時追い求めていた思想とか、上昇思考とは別の、生活の中から生まれた知恵だからかな。

 さっと読めて、すっと忘れちゃいそうな、たゆたゆとした語り口。綺麗な水に身体満たされて、穏やかに生きていけそうな気がする。思秋期の今、手にとってみたい本のひとつなんだ。

 最後に著者の言葉。

 

 自分の頭で考え、考えたことを行動に移せる。

 それが、自立ではないでしょうか。

 そうして自分の思い描いたふうに生きていけるのは

 私にとってとても贅沢で幸せなことなのです。










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