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一年前のポカリスエット

 頑張ることをちょっとだけ止めてみた。読書会に参加するため、本を頑張って読む、それが楽しい時期もあったけれど、今は目の前のことで精一杯で余裕がない。
 
 最近、慢性の腰痛がぶり返し、湿布や鎮痛剤の助けを借りながら、仕事を休まないよう気をつけていた。そこへ、五類になったはずのコロナが忙しさに拍車をかけてきた。職員が感染すると、最低一週間は休まなければならない。夜勤の勤務変更はあるし、日勤の人数は不足して毎日バタバタだ。
 
 患者さんが感染すると、その部屋に入るたびに防護服を着て対応する。オムツ交換が済んで防護服を脱ぎ、ピッタリとしたゴム手袋を最後に外すと、めくった手袋から汗がこぼれ落ちる。指は湯上りのようにシワシワだ。

 毎日慌ただしく、なかなか実家の後片付けができずにいる。来月母の四十九日と、両親の初盆があるのに。誰もいない実家に行くのが怖いのだ。



 去年の七月に父が入院して、そして、秋には逝ってしまった。父が家にいるときには、熱中症予防にペットボトルのポカリスエットを数箱常備していた。その、賞味期限が切れたポカリスエット四箱が、まだ、台所の隅に残っている。冷凍庫には、コープで買ったうどんやチキンライスも眠っている。元気だった頃の母と、一緒にコープのカタログを見ながら、あれこれ注文していたのを思い出す。



 
 実家に行くと、去年の夏の続きがそこにある。タンスの洋服はそのままだし、実家のほのかな匂いも残っている。それでも、処分しなければならない。洋服もポカリスエットも冷凍庫の食材も、私しか捨てる人はいない。
 
 あっという間の一年だった。父が亡くなった後、母が入院し、コロナで面会が出来なくなった。ようやく会いに行けるようになったのに、話すこともできなくなった母は、先月逝ってしまった。

 想像するだけで心が痛むのだ。ガランとなった、持ち主がいない実家を処分する日のことを考えると。
 一年前のポカリスエットを一本一本シンクに流しながら、きっと私は泣くだろう。両親の生きていた証をこの手で捨てる、そんな気がして。
 







 
 


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