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泥濘んだ足跡

 エアコンが壊れてしまった。外は曇り空。湿気を吸った雲の塊が上空に漂っている。部屋にある古びた扇風機は、ガタガタと唸り声をあげる。私は隅っこにあった除湿器をそばに引き寄せ、冷風のボタンを押した。

 この除湿器を使い始めて、とうに十五年以上は経つだろう。その頃、家にあったエアコンは、しとしとと水を垂れ流し、使用不能になっていた。電化製品の故障は続くもので、洗濯機も脱水ができなくなっていた。
 当時、失業中の夫と子どもらを抱え、パートと新聞配達で家計をやりくりする我が家には、新しく家電を買う余裕はなかった。

 仕方なく、洗濯機の修理が済むまで、徒歩七分のコインランドリーに通っていた。車も無かったので、大きな袋を肩にふたつ抱え歩く足取りは重かった。すれ違う人の目を気にして(誰も気にしていないのだろうが)いつまで続くのかわからない日々を必死に生きていた。
 
 一日の始まりは朝四時。朝起きて顔を洗うと、化粧もせず新聞販売所に向かう。そして七十軒分、スーパーカブに乗って朝刊を配達して回った。
 薄暗い中、階段を登って新聞受けに新聞を差し込む。あるお宅の外階段には、白雪姫と七人の小人の陶器の人形が、数段ごと間を空けちょこんと並べられてあった。玄関脇にある花壇には、季節ごとの花が咲き誇っていた。家族のフルネームが載っている表札には、見覚えのある名前があった。そこは、子どもの同級生の家だった。
 
 家へ帰ると朝食とお弁当を作り、急いでパート先のパン屋へ向かう。慌ただしい毎日。夕方、エアコンも効かない家に帰ると、座る間もなく晩御飯を作る。眠りにつくのは十二時前だった。
 眠る前、新聞配達先の同級生のお母さんの、生き生きとした顔が浮かんだ。学校のボランティア活動に精を出し輝いている彼女に、堪らなく嫉妬を覚えた。人にはそれぞれの人生があり、人には分からない苦労があると、歳を重ねた今なら分かるのだけど。

 その頃の、唯一の救いが除湿器だった。エアコンの代わりに除湿をし、冷風を届けてくれるのだ。子どもらはその周りに集まり、ひとときの涼をとっていた。除湿器はまるで、皆を笑顔にしてくれるアイドルのような、いやそれ以上の存在だった。



 エアコンの故障は基盤を変えることで、数日後には復活する見込みだ。
 この十数年で環境が変わり、修理費用を心配するどころか、買い替えることもできるようになった。
 修理を待つ間の冷房が効いてない室内では、お風呂上がりに汗の滴が肌を包む。私は急いで除湿器の前に座り、冷風ボタンを押す。
 かつてのアイドルを、今、私は独占して使っている。夫は古びた扇風機を使い、子どもらは独立して暮らしているから。
 
 仕事を変え、収入が増え、ようやく人様を妬んだりすることが少なくなった。お金は全てではないけれど、生活を支える基盤であることは間違いない。光熱費、住居費、食費などを当たり前に払える今が、とても嬉しい。
 それでも、暗い海の中、丘に上がれず足掻いていた記憶は忘れられない。コインランドリーへ向かう道すがらや、七人の小人がいる階段の隅に着いた底が見えない足跡のように。





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