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喪失…初めての北欧ミステリー

【喪失】カーリン・アルヴテーゲン(柳沢由実子訳)

 今年は海外の小説を読んでみよう、そう思って手に取ったのがこの本だ。予備知識もなく表紙に惹かれて買ったのだけど、すっごく面白かった!

 それもそのはず、裏表紙には『2000年ベスト北欧推理小説受賞。世界20ヵ国で翻訳されている』と書かれてあるのだから。

 ストックホルムでホームレス同様の生活をしている32歳の女性シビラが、殺人事件の容疑者となって追われ、ひとり真相に挑んでいくというストーリー。裕福な家に育った彼女の、親に支配され息を殺しながら生きてきた過去の話と、現在の逃げながらも戦っていこうとする姿を交代に描きながら話は進んでいく。

 スーツ姿のシビラはホテルのレストランで男性のカモを見つける。時々流し目などで気を引きながら、食事を奢ってくれるよう仕向けるのだ。そして、あたかも財布を無くしたフリをして、お金を貰いホテルへ泊まる。「後でそちらの部屋に伺うかも」という実行されない甘い言葉だけ残して。

 今の生活には満足している。昔は母親に監視され、友達とクリスマスの寄付を集めにいく事すら禁止された。「お金は出すからそんなはしたない真似はさせないわ!」と、学校に乗り込んで来るそんな親だ。もちろん友達もできるはずもなく、無力感に苛まれ、親の顔色ばかり気にする子だった。

 ある日、カモにした男性が猟奇的な殺され方をしたと知る。腹部を切り裂かれ、内臓が飛び出ていた。しかも、犯人は彼女だと報道されているのだ。

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 訳も良いのだろう、読みやすい。海外ものは文章がスムーズに入ってこなくて、眠くなる本もわりとありがちなんだけど、一日で読めた。いや、正確にいうと4時間くらいね。悲惨な描写がほとんどないのも好感が持てた。そして、予想外の展開に結末。読後感もいい感じ。

 カーリン・アルヴテーゲンの大叔母は【長靴下のピッピ】の作者、アストリッド・リングドグレン。家族はみんなものを書いていたという家系だ。(もっとも作家を本業としたのは大叔母だけだったらしい)

 彼女は仲が非常に良かった兄を墜落事故で亡くし、深く傷つく。しかし、生まれたばかりの子どもとその2歳上の子どもの世話をしなければならなかった。心に悲しみを封じ込めて。表現出来なかった悲しみは彼女の中を侵食し続けて、2年後深い鬱状態になり療養生活に入った。

 毎日死ぬ事を考える生活の中で、自分の心を見つめるために文章を書き始めた。「いわば書くことがわたしのセラピーになったの。書くことであの鬱状態から脱却したわ。まさか売れるとは思わなかった。いちばんびっくりしているのはわたしよ」

 主人公にホームレスを選んだのは、地下鉄の駅で女性ホームレスを見て、その姿が頭から離れなかったからだそう。作者と同じくらいの裸足の女性は人混みの中で手を出して恵みを請うていた。人々のさげすみの目や無視にもかかわらず、毅然としてそこに立ち続けていたという。

 何故究極の孤独の中で生きるようになったのか。誰一人手を差し伸べてくれる人はいなかったのか。そう思った時、女性が人生をギブアップせず闘い続けていると感じ、深く心を打たれた。それがこの小説の出発点だった。

 喪失、誰もが持つ感情のひとつ。それが、大きいか小さい人かは人それぞれだろうけど。兄を亡くした彼女は、人々が抱える悲しみや孤独をセンサーの様に感じる体質になったのだろうか。少なくとも、深い悲しみの体験無しには彼女の文学はありえなかっただろうと確信する。

 この小説でシビラが一番求めていた事は、《静けさと平和。精神の平和》人は多くの財産を持つよりも、精神の平和を手にしてこそ生きていける。それは自分で勝ち取っていくものなのだ。その事を教えられた小説だった。








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