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すごく短い小説「クリームパン吉とクリームパン子」と雨月物語についてのエッセイその2

この何週かずっと「暑いですね」と言い続けているような気がしますがまだまだ暑いですね。でも気がつくと、日が徐々に短くなっていっているのを感じます。早朝、目が覚めることがあるんですけど、4時ごろかな、最近は「あれ?4時ってもうちょっと明るかったよね?」と思います。季節は確実に変わってゆくのだなあ。そして今日は雨月物語についての続きです。

前回は「浅茅が宿」についてお話ししました。

さて今回は、浅茅が宿と同じくらい印象に残った「夢応の鯉魚」について。

初っ端から主人公死にます。そして3日後に生き返ります。この時点でおいおいちょっと待てよ生き返っちゃうのかよ、という奇妙すぎる話なのですが、その生き返った主人公の僧「興義」の語る物語がさらに何重もの奇妙な輪をかけていきます。

さて、死んでいる間の興義は、夢見心地で湖を泳いでいたのですが魚になったらもっと気持ちよく泳げるだろうなあなんて思ってしまい、ついうっかりその願いが叶ってしまうのです。海の神様が「あなたは功徳を積んでいるので、願いを叶えてあげる」とかなんとか願いを叶えてくれるのです。ただし「餌をどんなに食べたくなっても釣り糸に食いついちゃだめだよ」という言葉を残して。

興義は自分が死んだことに気づかず、狭い現実を突き抜けて永遠の続く夢の中で気持ちよく泳ぎます。そこはすべての境が曖昧になっているような世界で、巡るのに「泳ぐ」という表現はぴったりだなあと思いました。地面に足がついていない浮遊感、そして不安感。

で、「決して◯◯しちゃだめだよ」と言われちゃったあと、古今東西「その言葉をきちんと聞いて、主人公は◯◯することはなかった。めでたしめでたし」というような展開はわたしは見たことがないです。

だって、与ひょうはつうの部屋を覗き、浦島太郎は玉手箱を開け、妻は青ひげ公の扉を開けちゃうし、エルザ姫はローエングリンの名前を聞いちゃう…まことに人間というものは…日本も他の国も変わりありませんね。

というわけで、興義も誘惑に負けてしまい…。

功徳を積んだお坊さんが、なぜ死んだ後にもそんなドイヒーな目に遭わなきゃならんのだと思ったりもしますが(でもこの人最終的にはなんとかなります)、きっと海の神様には我々人間にはわかりっこない何かしらの高次元の視点があるのだろうね、夢の中では、わたしたちは理性も何もない、ただの「わたし」に戻るのだろう…良いも悪いも溶けてゆく世界ではね。

現実と異界の境が溶けてゆく「雨月物語」、夏の真っ只中、読んでみてはいかがでしょうか?

さて!今回も最後にわたしの投稿した小説を紹介して終わりにします。

アルファポリスさんに投稿、サクッと読めます。

「クリームパン吉とクリームパン子」

*今回はクリームパンはしゃべりません。(わたしの書いた話だと、いかにもパンがしゃべりそうですからね)

noteカバー絵も描きました。

クリームパン(の、つもり)です。わたしの素晴らしい絵の腕前のおかげで、家族には「野球のグローブとどら焼き!?」と言われました。なんでそのふたつを組み合わせた絵を描くと思ったのだ…。しかし、絵はもっと頑張らないと…。

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