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みーんなに本気で知って欲しい。私たちはひとりひとり、生まれた時、いや、生まれる前から素晴らしくて幸せだってこと。

私は物心ついた頃には、なんでか知らないけど、自分が最初から素晴らしいものだということを知ってたから、いわゆるコンプレックスとかを感じたことがないです。どちらかといえば、「自分最高」と思ってた。

おかしなことを言うと思うかも知れないけど、生まれつきそれを知ってたんだから、しょうがない。。。誰かに聞いたりする前から、薄々知ってたって感じ。(その頃の、まぁ他人から見たらちょっと変わった行動とか体験はまた機会があれば…)

だから、学校に行くようになったら、自分を誰かと比べたりすることに興味がなくて、ただ好きで勉強したら褒められたり、ただ好きで絵を描いたら褒められたり、そういうことはあっても、正直なところ順位をつけられたり賞状とかもらうことにはなんの興味もなくて、すぐ捨ててしまってた。

競技は好きで、もちろんゲームとして勝ち負けを意識して勝ちを狙うプレイをするけど、勝っても負けてもそこに違いとか優劣を感じたことがなかった。

全部が平等で同じくらいの重さ、いつもニュートラルでありたい、自分の思考も何もかも。そう思って生きてきた。

そうしたら、私にはずっと神様がついていてくれて(後にそれは自分の魂および魂と繋がってる大宇宙であることをヨーガの学びで気づくんだけど)、それを応援してくれてて、だからいわゆる「運のいい人」として生きてきてると思う。困ることや試練もあるけど、結果どうにかなる。予めどうにかなるってことを知っているから、困っても困らない(笑)

別な角度から言うと、世界は全て自分が意図したように現れる。いつも最悪の事態ばかり気にしてたら、ちゃんとそういう事態に出会う。いつもおきらくに考えてたら、ちゃんとおきらくに過ごせる。なんだかんだ、誰のことも平等に大宇宙(あるいは神様)は見てるから、思いを現実に見せてくれてるだけ。

でも、だらりんと怠けてて、自ら何もしないのはなんかちょっと違うのね。たぶん、意図にパワーがないのかな。本気度を感じられないとか。
少しでもなりたい想像に近づく努力をすることは、思いにパワーを与えてるってイメージ。

違う言葉で言うと「気」とか。
景気って言葉があるけど、景気のアップダウンは、たくさんの人の気持ちがそうさせてるだけなんだよね。「気」だから。
少し影響力のあるメディアとかが発信して、なるほどそうだなって思う人が多くいたら、そういう現実になるだけのこと。

なんか話が脱線したと思うけど、つまりヨーガの学びを深めていったら、自分が思ってたことに行き当たっちゃったわけ。
やっぱり私すばらしいんだって(笑)
いや、もちろんみーんなそうだから、みーんなすばらしいんですって、本当に。

自分自身(spirit)は最初から完璧だし、満ち足りてるし、すでに持ってるし、とても美しいバランスで今ここに存在していて、常に幸せ❤︎
それは外側の何か、例えば職業や服装や家柄や外見に左右されないもの。本来の自分。
そう思えなかったら、忘れてるだけだと思うので、瞑想とかして思い出しましょう!
もしくは、これを機にヨーガの学びを始めてもいいよね。

あー、他のこと書くつもりだったのに、なんか違う話になったな〜と思ったけど、まぁいっか。

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