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努力しても、勉強しても、どうにもならないことがあるんだ

しばらくぶりです。

50年生きてきて、気づけなかったことがありました。

私が常々感じてきた「生きづらさ」
勉強すれば、努力さえすれば、何とかなると思ってきました。

人と違う違和感は、
「私は、みんなとは違うんだ。」という大きな勘違いにつながってしまい、
教員になってからも、
「いつかは違う道に進んでやるんだ・・・」なんて野望に
しがみついてやってきたんだな、と今更ながら気づきました。

いろんなことが出来る感を醸してきましたが、
結果的には、普通の人に擬態できるように、必死で頑張っていたわけで。

本当は、人並みにできないことの方が多かったんだんだろうな。

幼少期から、「やればできる」論でやってこられて、
親には所々反抗してみたものの、
安定した職について、なんだかんだ言いながらも辞めずにきたわけですが、
この仕事だったから今までやってこれたのかもしれないと思ったりもしています。

色々な資格を取ったり、通信制大学に通ったりしてきたのも、
何か大きな目標を達成するためというよりも、
ぼんやりと「常に何かをしていたい」という自分の特性からだったのであり
「常に今以上の何かになりたい」という妙なプライドのためだけだったのかも
しれない。

勉強して、練習して、真似をして、
ガッチリ言葉と知識で武装して、
普通の人の世の中で生きてきました。

でも、限界でした。

あの日、心の中で糸がプッツリと切れた音がしました。

仕事を休み、病院へ行き、診断と投薬。

そうだったんだ。
腑に落ちることばかりでした。

自分がADHDだと気づいてしまうと、

「自分って、何者にもなれない フツーの人」
もとい、
 「それにもなれなかった人」なんだな。と 
妙に冷静に自分を納得させることができたのです。

が。

できないことを理解してオープンにすることで、楽にはなりましたが、
今まで頑張ってきた私って、何だったんだろうか。

素の自分、と言われても、
そんなもの、とっくの昔に自分の中に押し込めてしまって、わかるはずもなく。

努力して、勉強していれば、何とかなる。
中学生のような思考のまま、自分は大人になってしまったんだなと
今、自分は途方に暮れています。

こんな自分に今の仕事以外、何ができる?

「こんな仕事、辞めてしまおう!」と血気盛んに言っていた自分は
どこにいったのだろう。

人生100年なんていうけれど、先が見えないとはまさにこのこと。

自分の寿命があとどれくらいかわかれば、
えいやっと踏ん切りがつくのに、などど考えながら
その日その日を何とか乗り越えている感じです。

自分への大きな勘違いで、何とか自分自身を支えられてきた私。

それがポッキリと折れて無くなってしまったことで、
ラクになった反面、どう生きればいいか
大きな壁に直面しています。

どうにもならないときは、動かない。
傷を負った野生動物は、その傷が癒えるまで決して動かないと言います。

「カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム」

動けるようになる時が来るまでは、じっと耐える。
私に与えられた本当の役割とは何かが見えるまで。

私を囲む雪が溶けて、本当の春がくるまで、じっと。






#2  ADHDと生きる 

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