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読書感想:新ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義

読んだきっかけ

消費者心理の中でも個人的に腑に落ちないのが、いわゆるサステナブルやエシカルな消費である。

僕の所属するパブリックグッドでは、マーケティングPRを中心とした戦略立案から実行までを提供しており、その戦略立案の際に軸となるのがベネフィットだ。

ベネフィットは、「〜できる、〜なれる」という言葉に置き換えられる。

例えば、ヤクルト1000は、「安眠できる」し、吉野家は「安く、早く、旨い飯が食べられる」、カラーコンタクトレンズは、「かわいい・カッコイイわたしになれる」といった具合にあらゆる消費行動は基本的にこのベネフィットに基づいている(と僕は信じている)。

最近、仕事の中で、Z世代を対象とした商品・サービスのお仕事を頂くことが増えた。

彼らは世間的には、サステナブルに対する理解があり、社会的な意思ある世代のように扱われ、一方では出世などを望まず、嫌なことがあれば仕事をすぐ辞め、そこそこの人生を良しとするどこか無気力な世代として扱われたりと、別人類のような扱いを受けていたりする。

でも、仕事を通じて出会ったZ世代の彼らは、僕と同じように身の回りの友達付き合いに悩み、進路に悩み、大量生産大量消費の典型ともいえるSHEINで服も買うし、仕事だって頑張っている。人にだって褒められたい。

僕ら世代と少しお金を使うサービスだったり、話題の出どころが変わっているだけで、彼らだって同じ人なのである。

また、数年前に美容関係のエキスポに行った時に、見渡す限りサステナブル、エシカルなブランド・サービスが軒を連ねていた。美容に疎い僕からすればクリエイティブがちょっと違うだけで、みな同じ商品に見えた。

さすがにそれは、極端なシチュエーションではあるけれど、今あらゆる売り場で似たような事が起きているのではないだろうか。

そんな中、いち早く動物愛護観点でリアルレザーの使用を辞めるなどの表明をしてきたラグジュアリーブランドはどう戦っているんだろうと気になり、本書を読んだ。

総括

本書は全10回の講義形式を取っている。分かりやすく書かれているが、そのひとつひとつの内容がぎっしり詰まっているので読むのはなかなかハードだった。

テーマとしては大きく下記の2つについて書かれている。

・ラグジュアリーのこれまで
・これからのラグジュアリー

ラグジュアリーは、文化と密接な関係性があり、大昔から人々はラグジュアリーを必要としていた。文化によって微妙に意味合いは異なるが、「色欲、繁栄、光」といった意味のルーツを持つラグジュアリー。
すごく大雑把な流れは下記の通りだ。

中世ルネサンス期は、経済的余剰の誇示であり、社会階級の差異化手段として用いられた。政治的権力を守り社会的秩序を守るものとして機能していた。

近世は、愛妾経済がラグジュアリーを牽引し、異性の気を引くものとして用いられた。そしてその競い合いがモードを生み、周辺の劇場やレストランが栄えていく。

19世紀に入ると、華美な物が定番化し、「分かる人には分かる」的な曖昧さが加わり、物のみならず、つくる人売る人、買う人の品格やマナー、TPO的な文脈でラグジュアリーが形成されていく。

20世紀に入り、メッセージ性が加わり、ココ・シャネルに代表される、その時代の価値観を転換するハイブランドがその象徴となる。そして大衆化が進み、現代に至る。

大衆化によってコモディティ化した結果、その差別化として本質が求められるようになり、細部まで一貫したものづくりが求められるようになってきた。そして、人々は内面的な心の拠り所としてラグジュアリーを求める時代へ、という流れだ。

確かに、この数十年でダサいものは消えた。かつては「そんな服どこに売ってるの?」と悪い意味で聞きたくなるような服を着ている人が沢山いたが、ユニクロなどの普及により、服装で「あの人ダサいなー」と感じることは大幅に減った。見るからにちゃちい家具や雑貨も、ニトリや100均などの普及で減って、安くてもちゃんとしているものが格段に増えた。

見た目では明らかな差がつきにくくなってきたからこそ、「持続可能な開発に基づいているのか」みたいな事がマナー・教養として求められていて、好き嫌いの基準が、作り手や売り手の姿勢・思想にまで広がっているのかもしれないなと感じた。

マーケティング業界でも近年、パーパスが流行し、何者かが問われる時代となった。グリーンウォッシュ的に取り繕わんとするニセモノが現れ、最近は消費者もそれを炙り出すことに敏感になった。

アドテックで鹿毛さんが「パーパスを外注するなんて、どういうことなの?」と発言されていたが、迷いなく信念に基づいて誠実に努力出来ているのかを自問自答できる余白が無いとそうした違和感にも気がつけないのかもしれない。


的外れかもしれないが、冒頭のサステナブルやエシカル消費は、コモディティ化からの脱却であり、内面的な豊かさや教養・マナーを誇示できる、というのがベネフィットなのだろうなと思った。


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