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女性学散策日記 【1.はじめに】

今まで少しずつ読んだり触れたりしてきたフェミニズムや女性史について、もっといろいろ見聞きして考えていきたいと思い立ち、記録をしていくことにしました。

女性の歴史や、女性の権利や立場に関する新しい考え方、ムーブメントなどについて知ることをこの日記では一般的な呼称を習って女性学と呼びたいと思います。

独学で、自分の興味や偶然の出会いを元に手当たり次第触れていくような形になると思うので、探究や研究といった言葉は使わず「散策」と名付けました。

これまでの経緯

幸いなことなのか、愚かな(!)ことなのか、大人になるまで男女の不平等といったものを自覚したことはなく、子供の頃にテレビで見た「フェミニスト」とされる女性に対しては、自分たちの権利を主張するばかりでやかましい存在、というイメージも心のどこかで持っていました。

女性はスカートもズボンも履けてファッションの幅が広いし、仕事や好きなことに生きても、子育てや家庭に生きることも自分の選択次第で自由に選ぶことができる。男性にはまだまだそういう自由はないだろうから、男性は正直、気の毒だと思っていました。

同時に、すこし変わった言い方ですが、私は私が女性であることを悪(※)の面からも肯定していました。(※)悪と言うのは、本来の道から逸れているもの、例えば「悪女」とか「魔女」と言われるような存在のこと。女性であることのパワーを存分に生かしながら、他者に惑わされることなく自分の生命を全うした生き方に憧れ、そんな生き方をすることができる力を秘めた「女性」として生まれたことを誇りに思っていたのです。

(ちなみに以前、Twitterで友人がこんな記事を教えてくれました。)
磐樹炙弦 『ウィッチ・フェミニズム──現代魔女運動の系譜』 #01 序論「“私たちのフェミニズム”の耐えられない軽さ」

しかし、思い返せば、制服を着るようになるのと同時に、子供から大人の女性へと近づくようになって、私は自然と自分が女性であることを意識的に、意識しないようになっていったという気がします。女性であることで受けるメリットより、デメリットを感じるようになり、なるべく中性的でいることに社会での居心地の良さを感じるようになりました。

それでも、もしかするとそのことが逆に原因となって、女性であるがために不当な目に遭うという経験を私も例に漏れず重ねることになりました。しかし、不思議なことに当時はそれを普通のことだと思い、そんなことにいちいち傷つくのは自分が弱いからだと信じていました。

インターネットを介して名も無き女性がこれまで受けた不当な経験を告発し、それに共感する女性が現れたり、名前や顔を出して声をあげる人が日本でも増えてきたことで、これまで女性自身がこの苦労は自分の落ち度、自分の責任なのだと当然のように受け止めてきたさまざまなことが本当にそうなのかと問い直されています。自分のことなら我慢できたり、経験の一つとしてポジティブに捉えようとしてきたことも、私の妹や娘、孫の世代にも同じような我慢を強いていいのかと考えるような年齢になってきたこともあり、私はもっと明確で説得力のある自分の言葉を持ちたいし、そのためには一から知らないといけないこともきっと沢山あるのではないかと思うようになりました。(ちなみに実際には妹ではなく弟がいます。たとえ私に娘がいなくても、孫がいなくてもこのように思います)

また、自分の経験していないものごとについて、共感する力というのは大人として社会を成熟させていくためには必要なものだと思います。同じ女性として、人間として知っておかなくてはいけない歴史や現状についても、もっと知識を深めたいと思っています。

わたしはフェミニスト?

理解できていないことも多いはずですが、今見えているフェミニズムのムーブメントには肯定的に捉えているし、自分なりの方法で参加していきたいと考えています。ただ、今は自分の人生、生活に関するとてもとても小さい選択ですら、フェミニズムに基づいて選び取ることには困難を感じています。こうしたい、こうなってほしいという理想はあっても、そこにはまだまだ努力と行動力、意思が必要なのだと実感している人間です。

今の段階では、そうです私はフェミニストですと言いたいという気持ちがあるのですが、フェミニストとはなんぞやがよくわかっていないので言い切る勇気はまだないのかもしれません。

当たり前のように選挙権を持っていて、職場や家族、友人には女性としての私を丁寧に扱ってもらっていて、そのことを特別意識しないでもある程度生活に満足できているのは、きっと私の知らない多くの女性たち、女性に寄り添った人々の苦労の歴史があったのでしょう。他にも、当たり前のように守られている私の人権には過去を生きた人々の、文字通り、血が流れているはずです。

これまで、東京「山谷」の歴史や、ハンセン病や被差別部落、在日朝鮮人の歴史には関心を持って様々な資料に目を通したり訪れる機会がありましたが、自分もその当事者である女性についての歴史については興味はあっても受け身の姿勢でいることが多く、後回しにしてきました。

直感的に、女性として生まれてきたことに喜びを感じてきたはずの私は、これからも地球に生まれてくる女性たちの分まで、心からそう思えるようになりたい、という少々壮大な目標をいまは持っています。(それは女性として、だけではなく、その土地に生まれた者として、とか、地球に生まれた者として、とかいろいろありそうですが)

これから暫く、自分の方から女性学の知識と記憶の海の中に飛び込んでそこでの気づきを記録していきたいと思います。

早速、今日は駅などで貰える情報誌「広報東京都」で紹介されていたこちら二つのオンラインシンポジウムへ登録しました。どちらも11/7(日)開催。

SNS安全利用Webシンポジウム
東京ウィメンズプラザ「男女平等推進啓発セミナー」

この日は予定もありますが、オンラインですので聞けたら聞こうと思います。(シンポジウムを気軽にオンラインで聞けるようになったことは本当に有り難い変化です……。)

次回は、こういった日記を書くきっかけとなったとも言える本を紹介したいと思います。

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