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名前を隠す人の集い。

2021/1/31(日)17:00〜18:30に行われたこちらの催し。お誘いしたのがほぼ当日という突然の開催でしたが、5名と2体のぬいぐるみ、計7名(?)がご参加してくださいました。興味を持ってくださった方も、ありがとうございます!

会の進行は、わたくし茶谷ムジの本名を明かすところからスタートしました。

茶谷はもともとはFacebookで本名顔出しの状態でさまざまなイベントを開催していましたが、2016年からもう一つの名前を自分に名付け活動をはじめました。

ひとつの理由としては、以前から感じていた、もし、「悪魔」が居たらどうするという懸念でした。西洋の悪魔使いは悪魔に本名を知られると魂を取られると考えています。(これは会では話しませんでしたが、子供の頃に読んだ「バーティミアス」というファンタジー小説の影響です)

その話で言うと、日本にも”たまよばい”という考え方があり、重篤の人間の名前を呼ぶことでこの世に魂を留めようさせる風習があったり(ちくま学芸文庫「日本の葬式」井之口章次)、

先日、都市ボーイズさんのYouTubeで聞いたのですが、お腹の中もしくは産まれたばかり子どもに自分にかけられた呪いを移す風習というのがあるそうで(恐ろしい考え方ですね)、これは名前のつけられる前の子でないといけないそうです。名前を付けるということは、肉体に魂を入れるということなのですね。身体が空っぽではなくなるそうです。

つまり、名前というのは人間にとってとても大切なものなのではないかというお話からはじまりました。

ロシア・中東欧の鉄道や文化にお詳しい、ソ連東欧共産鉄道管理局さんは本名をよく呼び間違えられるそうですが、縦書きにしたときの美しさなどを特に気に入っているそうです。しかし、ツイートの内容によっては不特定多数の目に触れる特徴のあるTwitterでは、仕事でも利用する本名はそこそこの露出に控えているとのことでした。

仕事でも利用する名前と、趣味やライフワークの名前は分けたいという考え方は名前を複数持つ方に多く共通するものではないかと思います。仕事と趣味の距離が近い人は、その境が曖昧になっていたり、意図して曖昧にしているパターンもあるでしょう。

一方で、はっきりとその使い分けをしている方もいます。今回、参加してくださった平井さんは一見すると本名のようですが、実はハンドルネームです。すきな西武ライオンズの選手からとったそう。ぬいぐるみの後頭部が好きで、ぬいぐるみの後頭部マニアとして別の名前も使い活動もされています。平井さんは、ネットリテラシーの面が気になりネット上での本名での活動は怖いと感じるそうです。ただ、ネットでやりとりする方と実際に会う機会もあるので、その際呼ばれて恥ずかしくない名前を名乗っているとのことでした。

ところで平井さんのお持ちのぬいぐるみにも名前があるのですが、名前を知って呼ばせてもらうようになってからは、ぬいぐるみの生命力が増して見えました。(上の写真は、ぬいぐるみの後頭部マニアTwitterアカウントのアイコンに使用されているもの)

会の後半には、英日翻訳ライターのジェリーわたなべさんもご参加くださいました。ジェリーわたなべさんは、能のワキツレという役割についてもお話くださいました。ワキツレという役割に具体的な役名がつくことは少ないけど、景色の中には欠かせない存在であるものを演じるのだといいます。ちなみに、能の稽古をされている時にはジェリーわたなべとしての顔は全く見せられないとのことでした。やはり使い分けをはっきりとされています。今後はさらに、ネット上のプロフィール画像も統一していきたいとのことでした。

今回の会には、奇遇にも鉄道が好きな方がもう一人おりました。Shionさんも、ソ連東欧共産鉄道管理局さんも、シベリア鉄道で大陸横断の経験があります。Shionさんは主に、Twitterでご自分で撮影された鉄道写真を投稿されています。度々、拡散され多くの人の目に触れる、土地の魅力も映し出された鉄道の写真を撮られています。(写真は2021年元旦のツイート)

もう一人の参加者、ポッドキャストでラジオ配信をするブレちゃんさん。(たまたま、オランダ政府公式の英国EU離脱への警告を表現したキャラクターブレグジット君のアイコンで参加されていた)ブレちゃんさんがラジオパーソナリティとしてハンドルネームを利用しているということで、話はラジオの話へと移りました。

ソ連東欧共産鉄道管理局さんは、高校生の頃にロシアのラジオ局へ本名でメッセージを送り熱い返信をラジオ内で読まれた経験を話されました。

平井さんもShionさんもラジオへ投稿の経験があり、子ども時代、青春時代の思い出のようでした。Shionさんは今ではradikoを利用し地方のラジオ局へメッセージを送り読まれることもあるそうですが、自分で名付けた名前を遠い他人に読まれるのは不思議な経験だといいます。

逆に、ブレちゃんさんはラジオ番組へ手紙が送られてくると、なんだか送っていただいて申し訳ない、どう読めばいいのか、どのくらい気持ちを想像したり乗せていいのか、など考えるというお話がありました。お互いに本名でもなく、顔もわからない中でメッセージを送り、送られたほうはそれを想像する、興味深いやりとりです。

また、ブレちゃんさんはリスナーのラジオネームひとつをとっても、そこに意味やらイメージを付与してみていることを後ほど思い出されたそうです。

その他にも、子供に名前を付けるということについてや、名前の多様性に文化や地域性が影響するのかといった話もありました。

私自身は茶谷ムジという名前を得てから、自己紹介の時に一体どの名前で名乗るべきかと迷う場面が出てきたり、思ったより”自分”から解放されることはないのだと知ったりと発見がありました。また、中性的な名前にしたことで、実際会うまで年齢や性別の印象を与えずやりとりができるおもしろさもあります。非日常的なイベントを行う際、歴史の浅い新しい名前を名乗ると、普段と異なった世界へ気持ちが入りやすいという感覚もあります。

会が終わった後にいただいた感想もご紹介させていただきます。

「興味深いテーマの会でした。名前の使い方に生き方が現れてる気がしました。使い分けたいのにうっかり曖昧になるとか、武装のように仮の名前で守るとか、名前に寄せて性格が変わるとか。人によりたくさんポリシーがありそうです。」

「シャイなのかなんなのか、匿名希望って言葉の歴史も何かありそうです。」

「名前について考える機会を頂いた。「2枚目の名刺」は割と社会権を得て来たように思うけど、オンラインに限らずオフラインでも複数の名前を持つ時代が来るのかな。自分の場合、コミュニティによって異なるニックネームがあるんだけど、それぞれの呼ばれ方によって、そのコミュニティでの自分の位置づけや振る舞い、性格が規定されている気がする。ニックネームは受身的につけられたものだけど、自分で命名したら、自発的にコントロールできるようになるのかな?名前と人格の結びつき方って、人類共通の部分もあれば、それぞれの文化によって異なる部分もあるかもしれない。改めて考えると結構奥深いな。またこういう機会欲しいな。」

何かの役に立つわけではないけれど、考えてみるとおもしろかったテーマ!ご参加くださった皆さまに心より感謝いたします。

次回は、三年間読んでいない本読書会、、したいかな。ぬいぐるみに会議をしてもらう催しもいいですね。皆さまどうぞお身体に気をつけてお過ごしください。

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