「良い授業」は立場で変わるのだ

こんな授業、あなたはどう感じるだろうか

架空の授業である。
国語。「書くこと」の授業。自分の大切にしてる「宝物」について、理由をつけて紹介する作文を書く単元。
授業者が単元のねらいを簡潔に説明し、授業者が書いた「先生の宝物」という作文を読む。
授業者「先生の作文には『宝物』と『なぜそれが大切なのかの理由』が書いてありました。理由にはどんな種類があるかもプリントにのせておきました。あなたは何を紹介しますか。なぜそれが大切なのですか。ノートに書きましょう。書き終わった人は、友達と確認をして、書く内容がもっと詳しくなるように、理由を書き足しましょう。何を書くか浮かばない人は、友達に相談しましょう。」
児童は鉛筆を走らせ、少しずつ交流の輪も広がっていく。
でも、そんな中、浮かない顔でA君は座っている。鉛筆は動かない。
授業者はそんなA君に気付いたが、じっと見守っていた。しばらく待っても動きがなければ、声を掛ける準備はしつつ、他の子が書き終われば、きっと助けてくれるだろうと思っているからだ。
案の定、10分ほどで2人の子が近づいて行き、
「相談に乗るよ」
「どんなこと書こうか」
「〇〇はさぁ、⬜︎⬜︎のことを書けばいいんじゃない」
と相談に乗り始めた。授業者は満足げにその様子を眺めていた。

この授業、もしも私が参観者なら良い授業だと思う。
一方で、転勤をして同僚に最初に見せる授業だとしたらダメだと思う。
授業参観ならもっとダメだと思う。

保護者の目線から

なぜ授業参観としてはダメなのか。

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