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【日本の国家成立②】

「守護」と「地頭」について考えます。

「守護」は平安時代末期の源平争乱の際に、源頼朝が後白河法皇から許可を得て1185年に国ごとに設置した「惣追捕使」が改められたものです。源義経追討を目的として設置され、鎌倉幕府の軍事・警察権掌握のための地方機関でした。

「地頭」は地方の公領・荘園の土地管理、年貢・兵糧米の徴収、治安維持を目的に設置されました。「守護」と同様、源頼朝が後白河法皇の許可を得て設置されました。

「守護」は、中央政府から有力御家人が「任命」されて地方へ派遣されました。今で言うところの「知事」ですね。
幕府の中央集権統治のための軍事警察権を付与されていました。鎌倉時代の「守護」には政治・経済の執政権がありませんでした。
室町時代の足利尊氏は「守護」に政治・経済の執政権を与えてしまい、のちに「守護大名」化して台頭することを許してしまいます。戦国時代到来の原因のひとつです。

「地頭」には地方で勢力を持っていた御家人が選ばれました。今で言うと、地元出身の「市長」といったところです。
地方の荘園・公領で武力に基づいた軍事警察権・徴税権を与えられて土地・百姓を管理しました。

「守護」はもともと幕府が地方統治のために設置した機関でした。幕府が弱体化すると地方勢力が台頭して中央の統治が届かなくなり、独立した勢力になって行きました。つまり、室町幕府の衰退とともに「守護大名」となっていったのです。

「守護大名」と「戦国大名」の違いを説明します。
「守護大名」は室町幕府から任命された「守護」が大名化したものです。つまり、「足利系」です。
「戦国大名」は必ずしも幕府から任命されていない大名です。もともと幕府に任命されていた「守護職」を武力によって奪い取って大名となったケースが多いです。つまり、クーデターを起こして「守護大名」になりました。室町時代末期のこうした風潮を「下剋上」と呼んでいます。

足利系の「守護大名」とその勢力範囲を幾つか挙げておきます。「応仁の乱」を考えるには必須です。
①斯波氏
・尾張・越前・遠江・越中・加賀・信濃
②畠山氏
・河内・能登・越中・紀伊・山城
③細川氏
・和泉・摂津・丹波・備中・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐
④一色氏
・三河・若狭・丹後・伊勢(北)・志摩・山城・尾張
⑤山名氏
・但馬・因幡・伯耆・石見・備後・安芸・播磨・美作

このあたりが「応仁の乱」の時代に大きな勢力を持っていた「守護大名」です。

NHK大河ドラマ「麒麟が来る」に関連した「守護大名」で足利系は下記の通りです。
①土岐氏
・美濃・伊勢
②朝倉氏
・越前
③今川氏
・遠江・駿河
④武田氏
・甲斐・信濃・若狭・安芸

これらの「守護大名」は戦国期を生き抜けませんでした。

戦国期を生き抜き、江戸時代まで続いた「守護大名」は下記の通りです。
①細川氏
・和泉・摂津・丹波・備中・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐
②伊達氏
・陸奥
③上杉氏
・相模・伊豆・上総・武蔵・越後
④毛利氏
・安芸・周防・長門・備後・備中
⑤島津氏
・薩摩・日向・大隈
⑤宗氏
・対馬
古くは鎌倉期から続く「武家」の家系です。

これらの大名の中で、細川氏は南北朝時代に足利尊氏に従って発展。嫡流は室町幕府の管領家に列する守護大名となりました。また、江戸時代には、傍流から肥後熊本藩54万石の藩主家を出しました。
この傍流というのが、大河ドラマ「麒麟が来る」で演じられている細川藤孝の和泉上守護家です。子孫である細川護熙は(1938〜)熊本県知事(在任期間1983〜1991)、内閣総理大臣(在任期間1993〜1994)を務めました。
細川氏は、多くの大名の中でも、鎌倉、室町から江戸、現代まで名門として続いている稀有な家と言えます。

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