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今しかできないことを探して精一杯楽しもう〜若手セラピストへのエール〜

【セラピストもいわゆる戦う企業戦士?】

少し前になりますが、セラピスト辞めようと思って、、、という方が僕のヨガクラスに来てくれました。

病院でパワハラ的な対応をされ、認知症の患者さんの運動療法に悩み、でも勉強したいと思っても業務が忙しく手につかず、休日はどこにも外に出ず寝込んでしまっているような毎日、、、。もう辛くてセラピスト辞めようと思って、、、と。

患者さんの社会復帰に貢献して、笑顔を増やそうと思って飛び込んだセラピストの道が、現実では専門ではない認知症の対応をしなければならず、保険点数を稼ぐために無理やりな運動療法の介入を上司には指示され、勉強したくても疲れ果て、知識不足の自分をまた攻め、、、悪循環に入ってしまったんでしょう。

このようなセラピストは少なくないと思います。残念ながら病院も会社です。利益を上げるためには稼がなくてはいけません。そうなると、無理なことを押し付けてくる経営者や上司は普通にいるでしょう。いわゆるノルマですね。

セラピストも会社の社員でありノルマを課せられた普通の社会人ということです。でも、医療者を志す気持ちって会社員になろうというそれとは違いますよねきっと。ブラックジャックじゃないけど、人のために、人の笑顔のために技術を磨いて貢献する。そんな夢のある仕事だ!的なところありますよね。でもこれは、教育にも問題があります。社会人としての教育がないからです。保険点数の仕組みや、病院の経営システム、ノルマについて、パワハラやセクハラなどの現状、今までの民事含めてのセラピストの裁判事例など。社会人としてどれだけ厳しい世界なのかも教育する必要がありますよね。

国家試験のための予備校的な状態は問題です。

そうすれば防御方法も当然指導することになります。もう少し教育機関もそこらへんに意識を持っていって欲しいなと思います。すでに取り組んでいるところがあれば是非それを参考に全国に広めていって欲しいですね。

さて、僕も実際に打ちひしがれてた時はあります。なんでこんなことやってるんだろう?ベットサイドの昏睡状態の方に20分間可動域訓練して本当に効果があるんだろうか?認知症のこの方に無理やり嫌がってるのに歩行訓練してなんの意味があるんだろう?末期で治療法がなく後は本人の生きる意欲のためにトランスファーの練習をってなんで告知もしないで運動なんだろう?

今ならもう少し捉え方を変えて自分なりの最適な方法をみつけるでしょうが、20代には中々こくな環境でした。バリエーションがないんですよね。

若い方に伝えたいのは、辛い時でも楽しみは見つけられるよと言う事です。

【視点を変えてみる】

ポイントは2つです。

期限を決める

辞めることを前提に期限を決めてみましょう。後1年でこの環境から出る!そう決めた途端に、今の環境は有限になります。苦しみは未期限だから辛いと言うところがあります。期限つきの場合意外と頑張れます。

「腕立て伏せ10回」と言われるのと、「腕立て伏せこっちが終わりというまで続けなさい」はだいぶストレス度が違いますよね。

今しかできないことを探す

期限が決まったら、いずれ終わるこのこの環境は貴重だということが分かります。戻らないわけですから、今しかできないことが見えて来ます。

医師との合同のカンファレンスがあったらそれは医師に質問できるまたとないチャンスです。病棟で運動療法を提供するなら看護師とのコミュニケーションのチャンスです。レントゲン画像を自由に閲覧できるなんて普通ではあり得ません。研究のデータ集めもできますね。

有限な環境という自覚は、その環境への価値を生み出します。

するとそれは貴重なことであり、そのチャンスを生かさないてはないですね。残念な人や事を相手にしている暇はありません。視点を変えることで新しい今の価値を見つけましょう。

病院などの上司は、この価値を部下に感じてもらえるといいですね。環境に慣れてくると当たり前になり、何が貴重なことで何が普通なことか分からなくなります。失って気づく有り難さって言うやつですね。

僕も病院勤務に今だからこそ戻りたいという衝動が数年前からあります。保険外での予防事業では得られないものが医療保険下には山ほどありますからね。

【辞めても大丈夫!なんとかなる】

視点を変えて何か改善すればそれに越したことはないですが、それでもパワハラが酷すぎるとかなら躊躇なく辞めましょう。もちろん県士会などには訴えましょうね。

僕は危ない運転をしている車にはクラクションを明確に鳴らします。それはイラついたからではなく、その運転危ないよとだれかが教えてあげないと気づかないかもしれないと思うからです。声を上げることは自分のためではなく、相手のためでもあります。

退職というのは当然嫌ですよね。退くという言葉のイメージがそうさせるんだと思います。退職ではなく「勇退」でいいんじゃないですか?

または逃げるというイメージがあるなら、逃げることは悪いことではない、自分に合っていないだけと割り切ることも大切です。

入職数ヶ月で、思ってたんと違うって言って転職した先輩がいましたが、その後自分に合うクリニックで大成されました。日当たりを好む植物もあれば日陰を好む植物もあります。

それはどっちがいいということではなく、合う合わないという根本的な多様性の話です。結婚だってそうですよね。皆んながすごくいい人だって言っても自分に合うかどうかは分からないですよね。

職場も合う合わないはあります。入らないと分からないことって多いですよね。逃げるんじゃなくて合わなかったという事実だけです。

さぁ辞めたら今度は、今までの経験を教訓にして就活ですね。今度は経験がありますから、面接官に尋ねる内容も鋭くなるでしょう。パワハラがあった場合の相談窓口はありますか?ノルマはどのくらい厳しいですか?認知症の方にも無理やりな運動療法の介入をさせていますか?

聞かれた方がドギマギしますね、、、。

セラピストを一時休業も選択肢だと思います。実際、紹介した方は違う仕事をするって言ってました。

でもセラピストは本当に素晴らしいやりがいのある仕事です。形は変われどその知識や思いなどはきっと人生に生きてくるでしょう。そして、またセラピストとして働きたいと思ったら戻ってくればいいです。人生はあなたの選択で変えられます。

伝えたかったのは、辛い時は視点を変える工夫をしてみてってことと、退職しても大丈夫だよ合わなかっただけって事。

今は自粛中でヨガクラスは開催できていないけど。また僕のヨガクラスにきてくれると嬉しいなぁ。


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