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壮行会でいつも聞かれること

私がオランダへの移住と独立開業を決めてから、壮行会や激励会などの名目でこれまで友人や仲間に開いてもらった食事会や飲み会はきょうまでに98回に上りました。去年2月から9月にかけての飲み会の回数を数えると約50回で、これまでと比べてもやはり明らかに多いのですが焦点は回数ではありません。飲み会とはいえ、みなさんと過ごした時間の質はとても言葉にできないものでいずれにしても、この半年間の会合はどれも本当にありがたく幸せでした。

テレビ局の記者という仕事柄、多くの方と外で食事する機会がありましたが、この半年間の会合は全て私という本のページに記憶されるような宝物でした。今まで声を掛けてもらったことのない人から誘われることも多く、新しい道を進むとオープンに意思表示することが、これほど多くの人を刺激するものかと驚きました。そして、これらの会合で私が必ず受けた質問がこの二つです。

①「どうしてオランダなの?」

②「家族は何と言っているの?」

オランダ。正直に言えば、フランスやドイツと比べて明らかに存在感は薄く、日本に入ってくる情報も少ないです。国土は日本の九州とほぼ同じ大きさで、人口は約1700万人。オランダと言えば?と聞くと、チューリップか風車と返ってくることが多かったですが、オランダと日本の関係はもっと深いのです。1609年、大御所となった徳川家康は、駿府城でオランダ使節に対し通商の許可、朱印状を出しました。これが、日本とヨーロッパの公式な貿易の始まりと言われています。その後、オランダはヨーロッパの窓口となっていくのです。

オランダの国名「Nederland」は低い土地という意味です。ライン川をはじめアルプス山脈から流れる川の三角洲の部分に位置しているのがオランダです。沿岸部の多くは海抜ゼロ地帯で、過去に何度も水の被害にあってきたことからどのように地域で災害に立ち向かうか、行政に何ができるか、と議論してきた歴史的な背景があります。このため市民の合意形成プロセスが先進的とされ、世界中から注目されていることなど、知れば知るほど私の関心も高まります。個人的にはオランダの社会制度とその運用方法に大きな興味を持っています。

オランダへの関心事を挙げればきりがないので、いずれ取り上げることにして大学時代の友人、オスカーとのエピソードを紹介します。オランダへの移住を決めて、まずは知り合いがいなかったか、記憶やネットワークの引き出しを探してみました。私は東京学芸大学教育学部の日本研究専攻の出身ですが、その当時、オランダのライデン大学から留学生が来ていたことを思い出しました。彼のフルネームを覚えていたのでフェイスブックで検索するとすぐに見つかり驚いたことにその日のうちに連絡が来ました。オランダに友人がいたのです。

ネット上とはいえ20年ぶりの再会、なぜ私のことを覚えていたかと聞くと、オスカーが大学を去る時に、私が送別会の幹事を務めていたこと、そしてまた私が泥酔したことなどを彼から聞きました。私は全く覚えていませんでしたが時を経て、ご縁が再び繋がることがあるのです。不思議でおもしろいですね。私がオランダへの移住を決意していることを伝えると彼は驚いていましたが、後日のスカイプ通話で「わかった、君ならできる」と言い切ってくれたことが何よりの力になりました。その後もいちばん強い味方になってくれています。

さて、私がオランダを選んだ理由はいくつかありますがいちばん大きな理由は比較的簡単に移住できる制度です。海外移住したいといっても、ビザの取得はなかなか難しいものです。オランダには日蘭通商航海条約という条約があり、日本人が「自由な労働が可能な滞在許可」を取得しやすい状況にありました。私の場合は、個人事業主として起業することによってこの滞在許可を取得する予定です。この制度が認められた2014年12月以降、オランダに移住している日本人のブログなどを探してみると、いろいろな方が見つかり参考になると思います。ただし、状況は変化していて来年1月には制度が変わる見通しです。詳しくは、オランダ経済省企業誘致局(NFIA)のサイトをごらんください。

二つ目の質問、「家族は何と言っているの?」は、特に私のまわりの男性から聞かれました。わが家は私と妻の二人家族で、妻はプロのフルート奏者です。しっかりと自分の仕事を持って自立している彼女のことは、尊敬しています。これは今だから言える話ですが、結婚前にこんなことを言われて驚きました。「いつまでもテレビ局なんかにしがみついているような人とは結婚しません」実際はもう少しソフトな物言いだったかもしれませんが、当時の私にとってはそれなりの衝撃だったようでこのような文言で脳裏に焼き付いているのです。

私は彼女の言葉に、驚きこそしましたが、ひるむことはありませんでした。「いつでも会社を辞める準備はできている、ずっと残っているつもりはない」力むまでもなく本音で言いました。当時すでに独立を考え始めていたのです。このような経緯で結婚した私たちですから、一般的に想像されるような家族の反対は少なかったと思います。それでも、移住は彼女の人生を一変させるので話し合いは一筋縄では行きませんでしたが、人生を真剣に考えることでむしろお互いの道が開けたように思います。妻も移住を楽しみにしているようです。








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