見出し画像

「無常観」と「サスティナブル」

はじめましてNaraです。いきなりですが、世界最古の木造建築と言われている法隆寺。実は建立当時の材木が、少しずつ新しい材木に取り替えられて、今はほとんど残っていないこと、ご存知でしたか?今日はそんな日本の様々な文化に横たわる、無常観について書き留めたいと思います。

冒頭でいきなり建築の話をしてしまいましたが、それは人間の体でも同じことが言えます。10年前の皆さんと今の皆さん、顔、かたちは同じですが、物質としての皆さんは10年前とほぼ完全に入れ替わっています。新陳代謝と呼ばれるやつです。よく考えてみれば当たり前の事なのですが、この無常観の視点で世の中を見てみれば変わった景色に見えることでしょう。ではまず無常観とは何なのかと。

無常観とは仏教の1つの思想で、「常に一定」のものは「無い」、存在しないという考え方です。実はこの考え方日本の文化に、大変大きな影響を与えており、方丈記での有名な一説、

ゆく河の流れは絶えずして、しかしもとの水にあらず

に大変よく現れています。この一説を現代訳すると
川の流れは絶えることはないが、流れている水は常にもとの水ではない。という意味になります。

そしてもうひとつ大切な価値観が近年、グローバルスタンダードとして世界中に浸透しました。それがサスティナブルです。サスティナブル、サスティナブルと最近はよく謳われますが、その本質は何なのでしょうか?

サスティナブルとは基本的に近代的な価値観に逆らう、新しい視点ですが、サスティナブルが否定している近代的な価値観とは個体論的な思想です。個体論的な思想とは主体と客体が独立して存在し、お互いに影響は与えあっていない。という考え方であり、また半永久的に主体Aは主体Aのまま、客体Bは客体Bのままであるという思想も含んでいます。そう。その思想に逆らうサスティナブルの本質とは

物質的な姿、形を変えることで本質を維持し、
半永久的に活動するということ

なのです。これでサスティナブルが実は、無常観と強い繋がりを持っているということと、仏教の無常観という価値観は、現代のワールドスタンダードを先取りしていたことが、お分かりいただけたと思います。

今度は新陳代謝の話に戻りますが、近代的な価値観をベースにしている西洋医学では、最近まで新陳代謝ついて深く捉えることはしてきませんでした。なぜかと言うと西洋医学では体を臓器ごとに区分して扱っているので、体を細胞単位で見ていなかったわけです。ですが東洋医学の場合は違いました。人体を細胞の集まりとして捉え、常に揺れ動く「無常」のものとして扱ってきました。粋な言い方をすると、東洋医学では人体を「小宇宙」と捉えていました。

有名どころだと、この西と東の医学の差は鍼治療によく現れています。東洋では長く受け継がれてきた、この鍼治療。なんと西洋医学では未だに完全な論拠を示す事ができていません。これは恐ろしいことです。我々が様々なデジタル機器を駆使して研究しても、2000年以上前から続く治療法を紐解くことができないのです。

また建築のジャンルでも東洋の無常観が世界を驚かせたことがありました。1960年台に台頭したメタボリック建築という思想です。黒川紀章らが始めたこのメタボリック建築運動には、東洋の無常観が強く影響しています。(メタボリック建築は書くと長くなるので調べてもらえばと思います)またこのメタボリック建築運動がフランスの新たな哲学思想、構造主義に影響を与えたとか与えなかったとか。

私達日本人はなにかと、アメリカやヨーロッパにコンプレックスを抱えているようですが、東洋には誇るべき面白い文化や思想が様々あります。なので日本人として胸を張って生きましょうよ。というベタな終わり方で締めさせて頂きます。

ではでは

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?