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『光る君へ』道長と奈良の阿修羅

『光る君へ』はまっております。

大政治家として頂点に立つことになる藤原道長。

私達は彼の「完成された姿」しか歴史上でふれてこなかったので、彼にも青年期があり、父や兄や姉たちがそれぞれの思惑で動く時代というのをこのドラマで知って、また新しい道長像を作れたのではないかと思うのですが。

道長はこの世の栄華を極めますが、人間の力ではどうしようもないこと…病気や死というものに打ち勝つことはできず、信仰をもつことでその恐怖から逃れようとしました。

当時は阿弥陀如来におすがりして、極楽浄土をめざすという考え方が主流だったので、道長が作った法成寺というお寺は、のちに息子が作る平等院鳳凰堂よりも素晴らしく、贅をこらしてたすばらしいお堂だったと伝わります。

法成寺は今はもうないので、もしも残っていくれていたら、道長の栄華がよくわかる壮麗な仏殿を見れたのに残念です。

道長の前の時代の人々も、仏教を信じ立派なお寺を造営してきたました。

藤原氏の代表的なお寺といえば興福寺です。

奈良にありますこのお寺は、かつての都平城京を見守る位置に建ち、同じく平城京の守護神であった春日大社とともに繁栄を極めます。

ここにいらっしゃる御仏に阿修羅像があります。

阿修羅像は現在、国宝館というミュージアムにいらっしゃいますが、元々は西金堂というお堂にいらっしゃいました。

この西金堂というお堂はすでに燃えてしまったのですが、仏像は救い出されて国宝館にて安置されているのです。

西金堂は、藤原氏の始祖中臣鎌足の孫にあたる光明皇后という方によって、その母の菩提を弔うために建立されました。

中臣鎌足の息子が藤原不比等。不比等の妻が橘三千代。ふたりの間に生まれたのが光明皇后です。

奈良時代は女性がおおいに力を発揮する時代で、この橘三千代という人なくしては、藤原氏はのちの繁栄はなかったのではないか、と思うくらいです。

阿修羅は、この橘三千代のために作られた仏像のひとつなのです。

ところで橘三千代は、藤原不比等と結婚する前に夫がいました。

その前の夫との間に生まれた子供の中に、牟婁女王という方がいらっしゃいます。

元夫が天皇の親戚だったので、娘も女王という号が与えられているのです。

この牟婁女王の夫は、藤原不比等の息子のひとり、藤原房前。

橘三千代は、自分の娘を、自分の新しい夫がすでにもうけていた男の子に嫁がせたのです。

そしてその子孫の先にいるのが、道長なのです。

藤原道長は、奈良の阿修羅像を作ってもらった橘三千代と血縁の上でつながりがあります。

奈良の阿修羅像も、道長と無縁ではないのです。







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