声をかけられすぎて困っている視覚障害者の気持ち

視覚障害に興味関心がある、何か手助けになることがあればしたい、などなど、このnoteを読んでくださっている皆さんからはいつも温かいコメントをいただき、私の心は満たされるばかり。テレビをつければ、暗いニュースが多い中、ここでのつながりは、日本人の心の美しさ、温かさをかんじさせてくれる。
私がこうやって書くことで、いろいろな人に視覚障害者の日常を代理体験してもらえると嬉しいなと思う今日この頃。
先日、視覚障害のある友人と話していた時、街中を歩いていると声をかけられすぎて困っていると言う話を聞いた。
その人が、最近、急な視力低下をしたため歩き方が非常にぎこちない。だから、その様子を見た周囲の人はたまらなく
「何かお手伝いしましょうか?」
と声をかけてくれたのだと思う。
私たち視覚障害者は、移動する時、頭の中に地図を描いて、様々な感覚を活用しながら歩いている。例えば、電車に乗る時も、この駅であれば何号車に乗りたい、だから、ホームドアの数を数えながらホームを歩いていることもある。そんな時に、
「お手伝いしましょうか?」
と声をかけられると、今、何枚目のドアまで来ていたのか、わからなくなってしまう。実は、声をかけてもらえなくて困ると言うよりも、声をかけて欲しくない時に声をかけられて困ると言う話はよく聞くのだ。周囲の人に手助けをしてほしい時に使うツールは色々とあるのだが、今、私には声をかけないでくださいと言うメッセージを伝えるツールはない。
目の見える人からすると、誰にいつのタイミングで声をかけたら良いのか、迷ってそれでも声をかけてくれたのだと思う。その思いやり、優しい気持ち、勇気ある行動には心から感謝したいと思う。
見える皆さんにお願いしたいこととして、目の前を歩いている視覚障害者を少しだけ観察していただき、周囲をキョロキョロ見渡したり何か困っていそうな雰囲気があるときには、赤信号で横断歩道をわたっているなど危険なときは、迷わず声をかけてほしい。もし、特に困った様子もなく歩いているようであればそのままそっとしておいてあげて欲しい。その見極めが難しいようであれば、声をかけてほしい。お手伝いが必要ない時は
ありがとうございます。大丈夫です。
と断られることもあるが落ち込まないでほしい。ときには、とても失礼な態度をとる視覚障がい者がいることもある。本当に無礼な人もいれば、つい、最近視覚障害者になったばかりで声をかけられると言うことに慣れていない、周囲の人が声をかけると言う事は自分は哀れみの対象になっていると傷ついている、そんなこともある。視覚障碍者と一言にいっても、人それぞれなので対応が悪かったとしても気にしないでいただきたい。
ちなみに、冒頭で紹介した視覚障害の状態が悪化した友人の場合は、それだけ多くの人に声をかけられると言う事は自分がよほど危ない歩き方をしていると言うことだろうと自己理解につながり、必要な訓練を受けようと言う次の段階につながっている。これは社会の側から本人に気づきを与えてくれた出来事をいえるだろう。

私は周囲の人に声をかけてほしいときは、ブラインド演技を発動し、いかにも困っていそうな雰囲気をだすことによって手助けをしてもらえるようにしている。このブラインド演技の習得にはわりと長い時間を要したがこのスキルを身に着けると外出がより便利になったように思う。

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