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共感しすぎて辛くなった映画。

82年生まれ、キム・ジヨン』という映画を観た。
急遽誘われて、映画館で。

何の前提知識なく観たのだけど…もうホント観ながら主人公の気持ちへのわかりみが深すぎて何度も絶望的な気持ちになったし暗澹とした。

クソじじぃとクソばばぁがめっちゃ出てくる。
いずれもめっちゃ既視感のある感じのクソじじぃ、クソばばぁが。
こんな人おるよなぁ。そうそう、こんなこと言ってくる言ってくる、はームカつくよなぁ!みたいな。
女の幸せとは、存在価値とはを勝手に決めてかかって押し付けようとしてくる人たち。
自分の中にある思い込みと決め付けで酷い言葉を悪気なく投げかけてくる人たち。

でも主人公はいつも何も言わない。
その言わない、言えない気持ちが痛いほどわかるから観てて苦しくて仕方がない。
言えないよね、わかるよ、わかる…
ちょっと泣けてくるほどに。

周りの期待を裏切らないように、見えない枠にきちんと収まる自分でありたい気持ちもあって、そうあるべきだとも思っていて。
でも本心では嫌で嫌で仕方がない。
こんなのは自分じゃない、自分はなんて無価値なんだろうとも思ってしまう。

女性って、母になるとどこにいたって母らしく振る舞うことを期待されるし、そんななか目一杯働いてたら家庭をおざなりにしてるとか言われて、働いてなかったらないで楽できていいねなんて言われて。
結婚してなければ女性としての幸せを享受できない不幸な存在と見なされたりもする。
30代も後半になってきたら特にそう。
それまで積み重ねてきたものなんて誰も見ようともしてくれなくて、そんなものはまるで無価値なように扱われて。
それが悔しくて一生懸命そうじゃないなんて言おうもんなら見苦しいよって思われたりね。

自分のなかの自分は何も変わらずここにあるはずなのにどんどんそれをそのまま受け取ってはもらえなくなっていく。
ホント、絶望的。苦笑

そういう映画だった。

置かれた状況とかは同じじゃないけど主人公の姿がまるで自分を見ているかのようで…(一緒に観た人からは見た目の雰囲気も似てるとかなんとか言われたけど笑)わかりみが深い。
深すぎて泣ける。

でもこれってたぶん女性だけじゃないよね。
男性は男性で同じように世の中から期待される何らかの枠組みを意識して生きているもんね。
要は社会全体息苦しいってことなんだろうけど。

でも社会はすぐには変わらないしそこに過剰に期待するよりは、なんとかしんどくならない程度に折り合いをつけながら楽しめる道を探していくのがいいのかもね。
外から与えられた属性を何も持たない、ただ自分自身としてだけいられる場を見つけたりだとかも。
私にとってこのnoteなんかはそういう場だなと感じてたりするのだけども。
ただの自分として好き勝手に思ったことを綴るだけの空間。笑





脈略のない思ったことをそのまま書いただけの感想、おわり。

明日が良い一日でありますように!

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